2009年12月27日日曜日

ほうとう不動








先日、山梨県河口湖の近くにオープンするほうとう不動の内覧会が終わった。
この物件は僕が事務所で担当させてもらった最初の作品になります。
写真でわかるように3次元曲面壁は工事監理段階でもかなり難しいものでした。
入所間もない僕にとっては、学生気分が一気に吹き飛んだといえます。
その分、この計画に関わらせてもらえたことは名誉なことでもあると思います。

富士山の麓にかかる雲をイメージとして、4つの半球が組み合わさったような形状は内部に
距離感のつかみにくいたっぷりとした空間をつくっており、奥まで見えないようにカーブした客席は壁面から天井にかけて、まるで空でも見上げたかのような広がりをもっている。


先の内覧会が終わって、僕はほんの少しだけ達成感を味わった。
計画から竣工まで、そしてこの後多くの人に建築が使われていくことを想って。


2008年11月25日火曜日

片道1時間半の通学路




日本に帰ってきてからずっと実家暮らしが続いているわけですが、

何がきついって通学が一番きついです。

これまで、大学近くに下宿してたから、ほとんど苦にならなかったけど、

さすがに片道1時間半は1週間もすると疲労が溜まりますね。


リスボンにいた頃の通勤時間は30分くらいだったけど、


天気がすこぶる良かったし、トラムに乗っても大体の場合が座れて、朝の軽い運動みたいな感覚で通勤してたなぁと今更ながら思います。



あれは本当に良い暮らしだったんだなと思い出だしながら、この毎日の通学時間を楽しめないかと、いろいろ思案するんですが、なかなか思いつかない今日この頃です。。。

2008年11月18日火曜日

只今室内15℃


昨日(11/11)、あまりの寒さに暖房をつけた。いやつけてしまった。
毎年のことだが、暖房をつける時というのは勇気がいる。
この程度の寒さで暖房をつけてしまったら、この冬を乗り切れるだろうか。。。
という一抹の不安に駆られるからだ。
散々考慮した挙句、結局エアコンのスイッチを押してしまうのは余程寒いか、
予め周囲の様子を伺ってからというわけだ。

余談だが、ポルトガルの冬も日本ほどでないが寒かった。しかし、私の下宿先には暖房器具はなく、寒くても寝具の量が増えるだけだった。(質じゃないよ。量ね。)

兎にも角にも、昨日は寒かった。つまり余程の寒さであった。
しかし、困ったのは今日だ。

一度、暖房の暖かさを知ってしまった日には、なかなかその誘惑に勝てない。
果たして、今日暖房をつけずにいられるだろうか。
そして、明日も。。。

2008年11月8日土曜日

人を轢いた話



先日、大阪で起きたひき逃げ事件の容疑者が捕まった。
朝方、大阪のとある道路で突然信号が変わると同時に走り出した車が人を轢いたまま、
3キロもの距離を走行した挙句の逃走劇だった。
しかも、容疑者は飲酒、無面、執行猶予と無法三昧の渦中にあっての出来事だった。

以前、オランダでデルフトからアムステルダムへと向かう列車で、牧場に寝そべる牛とのどかな景色を眺めていた時、
突然、電車が宙に浮くような感覚と石を砕くような音が続くと、過ぎ行く退屈な景色がいつの間にか止まっている事に気付いた。車内はしばらく電車が走っていた時と変わらず落ち着いていたが、次第に電車が止まってることに気が付いたのか、ざわめいてきた。僕は友人たちと他愛もない話に花を咲かせていたが、電車が止まった理由がすぐには分からず、「置石だろ」「いや、牛だろ。」「ありうる。」などとさっきの音について空想したりした。

だが、それは自殺だった。

僕らは何ともいえない嫌な気分になった。自分たちのくだらない想像を反省したが、それ以上に「俺も人を轢いてしまった。」というような自殺の片棒を担がされた気分だった。一瞬宙に浮いたあの感覚は人を轢いた感覚であり、あの石のような音は骨を砕く音だったのか。罪悪感が僕たちの会話を減らした。

大阪の事件は発生時間帯が、人通りの少ない朝方の出来事だったこともあり、目撃証言が少なかったらしい。

そのため、事件に使われたとみられる黒いワゴンを捉えた映像がテレビで流されていた。信号や街灯が粗い画面に点り、交差点をその車が一瞬にして走り去っていく。それは事件そのものを捉えたもので、微かだが人を轢きずっているのが分かり、一度分かると、異様な現実感を持つ映像だった。そして、視聴者がその映像を捉えられるように何度もスローモーションで流されるのだった。

私はその映像を見て、何故かオランダで乗り合わせた事件のことを思い出していた。
そして、あの罪悪感がものの数時間もすると薄くなってしまったかのように笑ったりしていた。
だが、人を轢いた感覚だけは罪悪感として今も残っている。
容疑者は事件後、仕事を辞め、事件現場周辺で新しい仕事を何事もなかったかのように始めていたらしい。
人を轢いた感覚を、彼は果たして思い出すことができるだろうか。

ショック



先日、いつものようにパソコンの電源をOn。
vai〇(社名は伏せます)のロゴの後、ウィンドウズのロゴが表示されると画面に1㎜程度のピンク色の線があることに気付く。
イントロ部分が終わって、デスクトップのスクリーンにもその線は残った。
僕は一張羅にシミを見つけたような嫌な気分になると、すぐさま再起動を行う。
すると、

!

線が二つにっ!!

しかも、最初の一本目とは比べ物にもならぬ3センチもの白い線が現れる。

!!!

即、サポセン(サポートセンターの蔑称)に電話。
手短に用件だけ言いたい気持ちとは逆に、電話の向こうでは機械音声がのらりくらりと対応してくる。
4の5の言ってないで早くしろよっ!という気持ちは機械には一切通じず、オペレーターと話すまで4回。

こちらの苛立ちとは裏腹に、オペレーターの冷静さがやけに鼻につく。
展開は案の定、修理及び不具合の検査ということで、パソコンを郵送。

後日、電話がかかってくると。

「お客様、・・・修理代金・・・大変高額となっております。」
私はその金額を聞いて、文字通り耳を疑う。
「10万円っ!!」

「はぁっ!?(そんなの新しいの買えってことだろっ! たかが液晶だろっ!)」

散々、自分の非による破損ではないことを訴えるも悲しいかな、返ってくるのは「当方としましては・・・」「申し訳ございませんが・・・」という敬語ばかり。
私は怒りに任せて
「では、お聞きしますが、修理を依頼したとして、修理部分には一体どのくらいの保証期間が付くのですか?」

すると
「3ヶ月でございます。
馬鹿にすんじゃねーよ。

挙句の果てに
「検査費用3500円でございます。」



私は切れた。そしてここで小さく恨みを晴らしてみたりしている。









2008年11月6日木曜日

‘ちょきんっ’と切るように




先日、5億円の詐欺容疑で逮捕された小室哲哉。


当時一世を風靡した名プロデューサーの落ちぶれように、彼のCDを一枚も持っていない身でありながら、ショックを受けた。全盛期に20億円という高額所得を得ていたというから、先日新聞で公表された政治家の資産額、麻生首相4.5億円を4.5兆円だったけ?などと取り違えてしまうほどだった。


新聞各種メディアによれば、巨額の損失を抱えながらも、その生活は一般的な生活からは程遠かったようだ。


が、しかし、この一連の報道を受けての音楽業界の対応の速さとその決断は、随分冷ややかなものではないだろうか。当時、ミリオンセラーを連発し、オリコンチャート上位5位を独占するなど、ブームが過ぎたとはいえ一時代を担った稀代のプロデューサーではなかったか。店頭からのCD撤収、音楽配信の停止など、そんくらい売ってやれば?と言いたくもなる。


当時、一緒になって甘い蜜を吸ったであろう音楽業界の「なんだよ、とばっちりはごめんだよっ」という態度になんか薄情さえ感じるのは僕だけか。。。

2008年11月3日月曜日

秋口


東京では秋の気配を感じる今日この頃。


一年前のリスボン生活と比べると、季節の変わり目を日本では強く感じている。


単純に落葉樹とか多いせいかな。


夜の帰り道、空気の冷たさに何となく厳しさを感じるのは気のせいだろうか。。。