2007年6月30日土曜日

暗い入り口

アフリカンジャズクラブのベレーザ、ついに閉館か!
今日の公演を最後に、次の催しの告知がないということはほぼ閉館と見て間違いない。ということで、急遽、夜の街へと繰り出しました。(結局、入場規制にあって入れずじまいだったけど。)
 聞くところによると、建物の老朽化も進んでいるようだ。改めて、そういう目で見てみると、外壁もかなり汚い。
 因みに、この写真はベレーザ入り口です。
「入り口が真っ暗」というのがこの建物の特徴の一つ。
 リスボンの街並みは曲がりくねった起伏の激しい街路と壁のような建物によって構成されている。だから、その壁の向こう側が一体どんな風になっているのかはわからず、入ったときの驚きもまた大きい。
 特に、夜のお店の入り口が「無点灯」というのは、僕にとっては新鮮だった。どこか怪しげなライトアップで人を誘い込む入り口は多いが、こういう「知ってる人だけ知ってればいいよ。」みたいな入り口にはあまり出会ったことがない。
 ここまで読んで、ベレーザって何よ?と思われる方、ごめんなさい。ここにはいろんな思い出が。。。

2007年6月29日金曜日

白昼

あぁっ!
なんてまぶしいだ。

私は事務所の入り口の薄暗い廊下を抜けて、外に出る。
事務所の外に出るためには、扉を二つくぐる。一つ目をくぐると二畳程度の小さな前室に出る。そこは自動的に明かりがつく仕組みになっている。
すぐに次の扉に手をかける。日本と違って外に出る扉は内開きだ。扉を開くと、外の光が黒い扉を切るように飛び込んでくる。

あぁっ!

この世界を私の目が捉えるまでの瞬間。
それは、ありふれた日常を新鮮なものに映し返る一瞬。

入り口とはそんなものなのかもしれない。

2007年6月27日水曜日

リスボンの陽射し

 ここは事務所から15分程歩いた場所にあるアモレイラス公園。昼時、ふらりと立ち寄ってみると、おおいかぶさるような木立からリスボンの陽射しがもれてくる。ポツリポツリと置かれたベンチには、サンドイッチを片手に座る人、日向でウトウトする人、本を読む人、カップル、犬を散歩に連れてくる人。

 リスボンにはこんな公園がいくつかある。普段、人が溢れるようなこともなく、寂しげに見えるけど、よく見ると意外と人がいることに気が付く。そういう人と人との距離を実感した一枚。

2007年6月26日火曜日

痕跡

 リスボンの道路は東京に比べると極めて悪い。少なくとも、日本で20年近く暮らしてきた僕にとってはそうだ。
 恐るべき悪路だ。事実、道路のせいで疲れを感じることがある。道端で、まるで立ち止まったかのように遅いご老人を見かけることもある。バリアフリーには程遠い。
 東京の道路も数多くの継ぎはぎが見られるが、リスボンの道路の継ぎの当てようといったらない。石畳、セメント、線路に土。そして、この写真でわかるようにこのいい加減さが、また、日本人の僕には分らない。どうしてこうなるんだ?という風に。
 だが時に、こういう道路が何とも言い難い良さに見えることがある。たぶん、時間の積層された様が見られるからだと思う。(これはたまたまであって、彼らはそれを狙っているわけではない。と思う。)

2007年6月25日月曜日

植物

日本にいた時は植物を育てるなんてことはついぞなかったが、今の住まいでは同居人がマデイラ島というリスボンから1000キロ離れた島の出身ということもあって、植物を育てている。この植物は全てマデイラ島のものだそうだ。

 僕は日本にいたとき同様、水もやらなければ剪定もしないけれど、家の中に植物が置いてあるというのはなかなかいい。特に朝、目を覚ましてリビングに入ってきた時の気持ちの良さとも関係があると思う。朝の陽射しを受ける植物の様子は潤いに満ちているし、なんだか自分が生きていることと同じように、生命みたいなものを感じる。

 何よりこういう生活には余裕がある。毎日ではないにしても植物の様子に気を使って生活するわけだから。そう思って、リスボンの街を歩いてみると意外と植木をベランダに置いた家は多い。都市生活が無機的になりがちな今日、こういう些細な余裕が(僕には)必要なのかもしれない。

2007年6月24日日曜日

歩いて

 リスボンの街を歩くと、この写真のような建物によく出くわす。もちろん、ポルトガルは平和なのでこれは爆撃や銃撃で破壊された建物を保存しているわけではない。建物の外壁だけを残し、街並みを壊さないようにする規制のようなものだ。

 こういった漂白されて骨抜きになったような建物の姿を初めて目にした時、僕は衝撃を受けた。建物の中身が空っぽという様は外側から見ても内側から見ても異様なものだ。外側から見ると普通でも、よく見ると窓ガラスもなければ、サッシもない、どうにもとぼけたような感じがする。内側から見るとこの写真のように破壊の跡が生々しく残っている。

 こうした建物の改修工事を待つ予備軍がリスボンにかなり沢山あることを考えれば、こうした風景というのはそれ程珍しい物でもないのだろうか?僕はそんなことを考えながらシャッターをきった。

2007年6月23日土曜日

屋根の上に立つもの

 今日はさすがに疲れていた。昨日のバースデーパーティーでビーチへ行ったこともあるけれど、先週末、ポルトに行ったりとここ数日、何かとイベントが多かった。昨日に引き続き、今日も陽射しが強い。
 そんな昼下がり、私はふらりと事務所近くを歩いてみる。毎日通う事務所の周りにどんな物があるのかなんて、意外と知らないものだ。

 私は何を探すでもなく、ただ日陰を縫って曲がりくねった道を歩いてゆく。
 木立の影に気が付いて、まぶしい空を葉の間からのぞいてみる。するとそこには写真の煙突が。(果たして煙突か!?)
 私は何故か、この屋根の上の愛らしい造作が人に見えた。そして、そんなつまらぬ勘違いが今日という一日を楽しくしてくれる。

2007年6月22日金曜日

ビーチへ

今日は同僚のパトリシアの誕生日でリスボン近郊のビーチへ。彼女はアイレス・マテウス事務所に7年近く勤めている古株で、つい最近第一子を出産し今は産休中だ。彼女も子供も元気そうだった。

 聞くところによると、彼女の誕生日をこの場所で祝うのは毎年恒例のことらしい。といってもリスボンにある事務所から車で2,30分かかるので、それ程近いわけでもない。もちろん、この砂浜で「パトリシア、お誕生日おめでとう!」と昼食をとって終わるわけもなく、しっかりと遊んで帰ります。

一昨日、この誕生日企画の連絡があってから、事務所全体はこの日を心待ちにしている様子だった。
 ここ数日安定しない天気が続いていたが、「この日の予報は晴れだ」と一昨日からみんな言っていたし、加えて、「海に入る準備をして来い」と教えてくれる。
 僕は仕事中に「海に行く」という想像ができず落ち着かない。反対に彼らは「海だっ!」という喜びで朝からそわそわとしている。

 まぶしい程照り返してくる砂浜と深く鮮やかな青い海は意外と冷たい。海とはそういうものか。。。海から上がってしばらくすると、足をまばらに包んだ白い砂が、ぱらりぱらりと落ちている。気が付くと同僚たちの皮膚がうっすらと赤く焼けている。僕はぼんやりと遠くの水平線を眺めていた。

2007年6月21日木曜日

帰り道

僕はいつも事務所からの帰りは歩いて帰って来ることにしている。だいたい夜の7時半から8時頃に事務所を出るが、この時期の陽は高く、8時といっても東京でいえば「夕方」といった雰囲気だ。 この帰り道がなかなか気持ちいい。

 そんな通い慣れた帰り道にも、発見は少なくない。

 この写真は8時ごろ、帰り道で見つけたパティオ(中庭)。パティオといっても四方を壁で囲まれた典型的なものではなく、手前に見える門方からわかるように入り口として使われている。何となく居住者の気配を感じ、入って行きづらいあたりが日本の路地とも似ている。門の内側が柔らかい影で包まれる一方、夕方の低い陽射しを受けて、正面奥の壁の照り返しがまぶしい。

ありふれた日常の一コマ。

2007年6月20日水曜日

昼時


異国での生活で一番疲労するのはお昼かもしれない。。。

ポルトガルでの生活が始まって2ヵ月半、ほんの半月前まではお昼をポルトガル人の同僚たちと一緒に食べていた。彼らは食事中の沈黙というのがほとんどない。常に誰かが話している。(ような気がする。。。)
 これはポルトガル語を耳に慣らすという意味ではなかなかいい方法だと思う。だが、いかんせん会話を聞いているだけというのも気まずいものだ。
 そこで生活にも慣れてきた最近は、思い切って一人で昼食をとってみることがある。

写真は事務所の近くのカフェ。朝、出勤する前にほとんど毎日カフェを飲んでいくので、店の人も顔なじみになった。久々に一人で食べた昼食は何の気兼ねもせず過ごせたひと時。

2007年6月19日火曜日

リスボン

に帰ってきました。というのも今日は久々の事務所。たった4日間事務所に行かなかっただけでも、新鮮な週明けになった。それだけ旅行とは日常を客観的に見させてくれるものだ。



 写真はサンタ・カタリーナの展望台カフェより。

 ここ数日ポルトガルは天気の安定しない日が続いている。週末、旅行したポルトも天気が悪かったが、どうやら天気が悪いのはポルトだけではなかったらしい。

 この時期の雨は「日本の梅雨」を思い出させたが、日本の激しく長く降る雨と違って、ポルトガルでは短時間の雨や霧雨が多い。その間、空の様子は刻一刻と変わっていく。曇りと晴れと雨が空の続く限り見えるわけだ。そんな気まぐれな天気は、「7つの丘」を持つと言われるリスボンを、今日もやわらかく演出してくれている。

2007年6月18日月曜日

さよなら ぱおろ

ポルトに一緒に行ったイタリア人研修生PaoloとJacopo。

彼らは明日の夕方の飛行機でイタリアへと帰ってしまう。

彼らはスイス・メンドリシオ大学の建築科の学生たちで常に陽気なイタリア人たちだった。

特にPaoloは同じマヌエル・アイレス・マテウスの事務所で働いた、事務所でただ二人の外国人だった。

今思えば、僕のアイレス・マテウス事務所での研修も彼がいたおかげで、楽しい始まりだった。

彼はとにかくマイペースで研修半年が経った4月でも、必ず規定の仕事時間の6:30に帰ってしまう奴だった。
5月、イタリア・パドヴァのコンペでは、深夜3時4時まで事務所で一緒に働いた仲だった。
夕方4時の一休みでは近所のカフェでオレンジジュースが定番だった。
ポルト旅行では酒を飲んでいるせいか、運転中、何故かカーブで加速する奴だった。。。
そんな彼らも今月の初めに研修を終え、明日このリスボンを発ってしまう。

今日は彼らの家で最後のパーティー。

Good bye Paolo! Jacopo!

L'Accademia di architettura di Mendrisio:http://www.arch.unisi.ch/

2007年6月17日日曜日

 この3日間の旅で、僕が最も気になったのは飲酒運転だと思う。リスボンでほとんど車に乗せてもらう機会のない僕にとって、これほど恐ろしいことはなかった。

 木曜日の朝、リスボンを出発して高速を1時間程走ったところにファティマという小さな街がある。小さなといってもキリスト教徒にとっては重要な聖地の一つなのだが、ここで昼食をとった。注文の最後に、ウェイターはお決まりの飲み物の注文をしてくる。まさかとは思ったが、彼らは何のためらいもなくインペリアルを4人分注文してしまう。

 僕は同乗者がいなければ、飲酒運転をしてもそれほど気にしない。まぁ一杯ぐらいなら、と思うだろう。だけど、彼らが食事中に2杯目を注文したことで焦った。「もういっぱい飲む?」と聞かれてもちろん飲んだけど、内心恐くなった。日本ではやはり飲酒運転は御法度なのだ。

 そして、極めつけは、土曜日の昼食。朝からポルトは霧雨で霞んでいた。ポルトの歴史地区を歩いて回り、雨の強まる気配を感じてレストランへ。案の定、雨は激しくなり降り足を見ながらの昼食はいつになくのんびりとしていた。いつものようにビールを頼み、店の壁にかかっているテレビでは「ザ・シンプソンズ」のアニメをやっている。原色の色がチカチカと動くのはポルトガルの古びて落ち着いた色合いの壁の中で際立って見える。雨が石畳を打つ音に混じって、自動車が店の前の坂を上っていく音が騒々しい。彼らはポルトガル語の字幕を読みながら、旅も終盤に差し掛かり、時折疲れた表情を見せていた。

 そこに、突如やってきた写真のお酒。ベラオン。ポルトガル語ではAの上にアクセントが入ります。
ポルトガルのリキュールらしいのですが、これがかなり強い。ドロリとした舌触りと強い芳香が喉につく。彼らは陽気さを取り戻し、その日の予定を確認したりしている。雨の止む気配はない。僕はこれから回る場所と帰りの高速道路の運転を思い浮かべ、長い午後が不安になった。僕は未だ見ぬ被害者の悲しむ様子を想像し、その一方で楽しい昼下がりを満喫している彼らをうらやんだ。


追記:ベラオンの表記はBeiraoの間違いです。文中にあるようにaの上にアクセントが入ります。

ポルトの歴史地区

 ポルトは朝から断続的に霧雨が降っていた。私たちはホテル近くのカフェで軽い朝食を済ますと、車を置いてこの歴史地区を歩いて回ることにした。起伏の多いポルトはリスボンと違って、密集した建物の間から不意に川が見えることは意外と少ない。
 可愛らしい小さな建物が川沿いにびっしりと敷き詰められている。まるで、限られた椅子を取り合う「おしくら饅頭」のようだ。そういえば、どれも建物は歪んでいる。きっと、川の眺めを奪い合っているんだ。

 川沿いの道では来週の土曜日 6/23の サンジョアン祭に備えて着々と準備が進んでいる様子だ。心なしかリスボンより大掛かりな気がする。歴史的な街に現代的な仮設の音響施設は不釣合いだったが、一週間後の祭りを心待ちにしているのがわかる。

 曲がりくねって、入り組んだ街路はこの古びた街を立体的に見せてくれる。ドウロ河に面した遊歩道を避けて、一段上の歩道を建物沿いに歩くと、ドウロ側をはさんだ景色が何とも言えず、静かな佇まいだ。雨は止んでいたが、湿った空気と、濡れた地面が古ぼけたこの街を一層際立たせている。

 私の印象では、どこか統一感のあった歪な街は、よく見ると渋く深みのある色を随所に持った街だった。あの統一感はきっと屋根の色に違いない。私は自分にとってのポルトが写真によって作られていたことに気付いた。写真の前できれいに整列したようなポルトの街並みは川沿いの等高線に沿っていて、壁のようだ。意外と奥行きのない建物を見た時、私はそう思った。

 じめりとしたこの空気の先をドン・ルイス1世橋がドウロ河を大きくまたいでいる。19世紀後半に出来たあの橋は今となってはポルトのこの街並みに自然と溶け込んでいる気がするのは、長い年月のなせる業なのか。まるで違和感がないのはどうしてだろう?
 
 私はそんな疑問を他所に肌にまとわりつく霧雨が気になって傘をひらいた。

ドウロ河のほとり

 さて、東京乃木坂ギャラリー・間でも展示をやっているアルヴァロ・シザの事務所を見学させてもらった。ポルトの中心地から少し離れた、ユースホステルに泊まった僕たちは、シザの事務所がユースホステルから意外に近いと聞いて驚いた。雑誌や作品集で見るシザの事務所はポルトの市街地から大分離れたところを僕たちに連想させていた。
 ドウロ河沿いの道をユースホステルから車で5分ほど東に向かったところに、車を止めると目の前の緩やかな斜面に、シザの事務所を見つけた。写真で見たときはそれ程気にならなかった建物の外観も、実際は「コ」の字型のプランの片側の先が斜めになっている。そういうデザインのせいか、平行に配置されている単純な建物もどこか違って見える。

 玄関の無表情な門の前で恐る恐るインターホンを鳴らしてみる。「どうぞ」と門があくと、数段の階段を上がり、ひょっこりと地面の上に出た。雨続きの旅で珍しく晴れたこの日は夏日だった。不意に塩素の匂いが鼻につく。僕らはそれに気付くと夏のプールを思い出して、同じ連想をしたことに喜んだ。

 事務所の入り口は建物の裏側といった感じで窓一つない。そっけない扉を開けて事務所に入ると夕方の柔らかい光が事務所の中に差し込んでいた。僕たちは慣れない場所でどう振舞っていいのかわからずきょろきょろしていると、そんな緊張をほぐすように案内が始まった。

 外から見ると少し控えめに見えた小さな窓は、中で見るとかなり大きめの物だった。各階で等間隔に並んだ窓からは全てドウロ河が見える。僕が想像していたよりも、部屋はずっとたっぷりとしている。ポルトガルの建築の代名詞ともなっているシザの事務所は、多くの計画案であふれていた。僕は模型を介して丁寧な説明をしてもらいながら、家具の配置が気になった。

 机より高い家具が少ないその部屋では、壁が良く見えた。いろいろな計画の図面やら何やらが壁に張ってある以外は、本棚も天井まであるような大きな物は少なかった気がする。そしてそのことがこの部屋に不思議な広がりを持たせている気がした。

 帰り際、夕飯に誘ってもらったが、あいにく日中の強い日差しに疲れた一人をホテルに置いてきていた。僕たちは案内してもらったことに軽くお礼を言った後、ひょっこりと出てきた地面へとまたもぐっていく。僕は階段を下りきったところにある門に、何となく違和感を覚えながらも、シザの事務所を後にした。

歩け

 さて、ここでは最初に「ポルトガルの現代建築といえば」ということで、この建物を取り上げてみよう。カーサ・ダ・ムジカ。
 オランダの建築家レム・コールハースの代表作の一つ。ある時期、日本のいろいろな建築雑誌でもよく取り上げられていた。そういう意味では僕も写真でよく見た事のある建物だった。写真の現実から入った僕にとって、この建物は意外と狭い場所に建っている。雑誌の写真ではおそらく広角のレンズを使っているので、人間の目で見たのとはかなり印象が違うようだ。
 
 この建物の配置構成は上の写真のように地面がところどころめくり上げられており、広場の中心に建物が巨大な岩の様にゴロリと置いてある。滑らかな曲面の地面と硬い多面体の建物は対照的で、お互いの存在を際立たせている。中世の建物の巨大さとは違う、この建物はかなりの重量感を持っている。圧倒的な存在感といえる。ところどころに開いた大きな窓は多面体のアクセントだが、全体的には無口な建物だ。そんなアクセントの一つから宇宙船の入り口のように階段が下りている。遠くから見ると小さな入り口も、近づくとかなり巨大に迫ってくる。

 入り口を入ると何とも言えない。この建物の形の内部がそのまま見える。内部は巨大ながらんどうで、耳を澄ますとわんわんと、どこからか反響してきたうなりが聞こえてくる。がらんどうの吹き抜けは建物頂部まであり、つっかえ棒のようなコンクリート梁が3本、宙を走っている。

 がらんどうの吹き抜けに目が慣れると、右側にあるチケットカウンターに目が行き、その奥にもどうやら階段があるようだ。改めてがらんどうの吹き抜けを見ると、ゆるい丘を登っていくように階段が上部へと導いてくれている。私は素直にその丘を登っていくことにした。

カーサ・ダ・ムジカ:http://www.casadamusica.com/default.aspx

ポルトへ

行ってきた。アイレス・マテウス事務所での研修を今月の始めに終えたイタリア人2人とその彼女1人と僕の計4人で、レンタカーによる安上がりな旅だった。

 生憎、3日間の大半が雨だったが、そのおかげで歴史的な街並みはより一層深みが増して見えた。僕にとってはあまりに急な誘いだったので、下調べもしない気楽な旅となった。ちなみにイタリア人2人はスイスのメンドリシオという大学で建築を学ぶ学生で、この半年間の研修を終えて、来年度の授業が始まる前にポルトを旅行しようというものだった。

 聖アントニオ祭の時、彼らは「調べてあるから大丈夫」と言いつつも、その詳細はかなり適当なものだった。だが、4人が4人とも見知らぬ街を巡るにしては、車ということもあって充実した楽しい3日間だった。

 というわけで、ここでいくつかのエピソードや建物を紹介したいと思う。


その前にリスボンからポルトへの交通費を、一応ここに書いておこう。

飛行機:90€(50m) バス:14€(4h) 電車:18€(3h) レンタカー:30€(3h)
()は所要時間。
※一部、地球の歩き方’06~’07を参照

2007年6月14日木曜日

祭りの後

というわけで今日は本当に静かな一日だった。昨日の前夜祭の盛り上がりも一体何時ごろまで続いたのだろう?

目を覚ますと、既に昼12時を過ぎていた。軽めの昼食をとりに外に出ると、道端に時折、砕けたビール瓶の破片が散らばっている。でもそれはいつものことで、昨夜見た夢見心地な賑わいはきれいに片付けられていた。

そんな遅い1日の始まりの後、僕はぼんやりと静かな街をふらついた。昨日の祭りは現実だったのだろうか。

午後11:00、今日は本当に静かな一日だ。着陸態勢に入った飛行機のエンジン音が北へと遠のいていく。バルコニーに置かれた植物がゆっくりと風に揺られている。今日も肌寒い夜がやってきたようだ。

明日から北へ行きます。

2007年6月13日水曜日

前夜祭

明日が聖アントニオ祭なので今日は街中が賑わっている。前夜祭として各地域対抗のアーチやオブジェクトが街中を練り歩くパレードと旬の魚のイワシを食べながら、夜通し飲み続けるこの祭りは別名「イワシ祭り」と呼ばれている。
特に聖アントニオとイワシの関係は深くは無いようだが、出し物と食べ物のセットは日本のお祭りとも似ている。神輿と屋台か。雰囲気もどことなく似ている。
現在この文章を書いているのは現地時間4時半だが、未だに外の音は鳴り止む気配はない。
打楽器の音、叫び声、タクシーの警笛、笑い声、ビンの割れる音、話し声、車が家の前の通りを登っていく音・・・
外の音は鳴り止む気配はない。

追記:時差のため6/13の投稿になっていますが、聖アントニオ祭は6/13で前夜祭は6/12となっています。

2007年6月12日火曜日

ビヤホール

 今日は近所のビヤホールでコカ・コーラ。
 それもそのはず、2、3日前から左耳に外耳炎の症状がっ!日本でも季節の変わり目に、この症状が出るんですが、痒いの何のって。ひどいと耳の穴が腫れて閉じてしまったことも。。。やばい。特にビールがっ!アルコールがっ!そして明日は聖アントニオ祭の前夜祭がっ!
 といってもせっかくビヤホールに来てコカ・コーラだけじゃ場もシラけるといけないから、とりあえず一杯だけ。一杯だけね。
 ボヘミアという赤いビールをチョロチョロと1時間くらいかけて飲みました。とほほ。。。

 この建物、元は修道院だったところを改築してビヤホールとして使っているらしい。こういう建物を見ると「再生」ということをよく考えさせられる。
リスボンの街には今後、修理して再利用する建物が数多くある。それらは使われていないので廃屋だが、リスボンの街並みにしっかりと溶け込んでいる。リスボンの旧市街地は歴史保存地区となっているが、その全てが古い壁をそのまま残しているわけではなく、新しくタイルを張り直したり、色を塗り直したり、場所によっては新しく立て直されているところもある。
 そういう意味では、この街で若い人から年寄りまで幅広い年齢層を見かけるように、建物も新しい建物から古い建物まで様々な年齢層がバランスよく建っているように思う。
 そのバランスを保っているのは、おそらく建物の再生のさせ方ではないだろうか。
 石に覆い尽くされたこの街が時に、何故、人間的なのか考えさせられた。

2007年6月11日月曜日

現代の宮殿

先日お伝えした第一回リスボン国際建築トリエンナーレを今日見てきました。左の写真はメイン会場のポルトガル館。1998年のリスボン万博の際につくられた建物です。ポルトガルの語源となったポルトを拠点とする建築家アルヴァロ・シザ・ヴィエラによる設計で、「現代の宮殿」と称されています。ちなみにアルヴァロ・シザ・ヴィエラの展覧会は東京乃木坂にあるギャラリー・間で行われています。 http://www.toto.co.jp/gallerma/
この写真では奥の方になってしまっていて見えませんが、会場の入り口に当たる広場にはなんとも不思議な屋根がかかっています。その屋根は建築関係の写真では割と有名なので、今回はあえて別のカットにしました。

肝心のトリエンナーレは割と面白かったです。というのも展示の仕方が「国際」と銘打つ割には、今一つのものが結構ありました。

会場の構成は、入り口、各国の展示、ポルトガル国内建築家の活動、リスボンを敷地としたヨーロッパの学生課題作品の展示、招待建築家の展示の順となっている。会場全体は青いOSB(木質ボード)が絨毯のように敷かれ、それを辿っていく形となっており、シンプルで移動しやすい構成となっている。

その一方で、展示の密度はところどころ散漫なものだったと思う。そもそもこの建物、大きく見えるがほぼ2階建てとなっており、かなり天井が高い。場所によっては12メートルあると聞いたので相当たっぷりとしたものだ。そういう広い部屋にパラ、パラと作品が並んでいる様子は少し寂しい。

具体的には、各国の展示はなかなかいい密度を持った展示だったと思う。中には随分と思い切った展示をしていた国もあったが。ポルトガル国内建築家の展示は実際に建っている、あるいは建設中のものが対象だったので、もっと大きな部屋を使って、主催国としてもう少し豊かな感じを見せてもよかったと思う。コンパクトにまとめようとして、逆に窮屈に感じた。

ヨーロッパの学生課題作品の展示は映像の不備や投げやりな展示に終わっているものがいくつかあったが、各国の展示同様いい密度を持っていたと思う。招待建築家の展示は川に面したこの建物の一番いい部屋にあたり、各建築家それぞれ毛色の違う展示となっていた。

個々の展示の内容についてはまた後日、時間があれば。

いささか、長くなってしまった。。。

2007年6月10日日曜日

週末の夜

タイトルにあるように左の写真は週末の夜の様子だ。これは午前2時ごろ、Bairro Alto周辺で撮ったもの。ちなみにこれはうちの近所で、この様子は明け方5時頃まで続き、叫び声やハッピーバースデーの合唱なんかが絶えない。治安は見ての通りだが、とにかく週末を体全体で楽しむといった感じは、なんとも言えず心地いい。
週末に必ず休むというサイクルは街の様子を変えるだけでなく、人の気持ちもリセットさせてくれるようだ。何と言っても明日は休みなわけだから。。。

2007年6月9日土曜日

さてと

連続二週間のブログ更新はなかなかの達成感がある。だが、過去の記事を読み返してみると、個人的には今一つ不満が残る内容でもある。
ということで、少しブログの更新の仕方について考えてみたい。そもそもブログは個人的な日記の公開という軽いものから、いろんな人を巻き込んで議論になるような「話」の提供まで幅広い使い方がある。どんな使い方をするかは人それぞれ自由だが、ある程度は誰かに見られるものだということを意識しなければならない。

そう思うと、サービス精神旺盛な私はついついこの日記を書くのが重荷になることがある。そういう気持ちを軽減するために毎回写真を入れることにしている。特に人に話すようなことが無い時、写真が語りだしてくれたりするからだ。パソコンの前でうんうんと悩む時間はさすがにもったいないので、出来るだけ避けたいわけだ。

というわけでもう少し気楽に書くことにしよう。今までも十分気楽なはずが、いつの間にか使命感に駆られたり、継続心に襲われてしまうのはどうしてだろう。これは正しく私の大嫌いなマラソンではないだろうか?昔、マラソンの選手が「あの雲の下まで行ってみよう」と思えばどこまでも走れると言っていたのを聞いて私はそれを嘘だと思った。

何故なら、たとえその雲がゴールの向こう側にあったとしても、ゴールに辿り着いたマラソン選手はそこで走るのをやめなければいけない。それは救いでもある。

ここで今日の告白をしないと、私に明日が来ないのは何故だっ!

2007年6月8日金曜日

聖体節

今日は友人の恩師に夕飯をご馳走になった後、近所のライブハウスにぶらりと行ってみた。というのも、この建物の上階に友達の絵描きのアトリエがあって、そこにふらりと行ってみたというわけだ。この建物は美術系の本屋と隣接し、下階3層分がライブハウスとギャラリーとなっており、上階数部屋をアトリエ用などに貸している。通りに一際目立つ大きな木製扉が目印だ。 リスボンの夜8時9時まで明るい気候は、人々の気持ちまで明るくしてくれていると思う。夕飯を食べ終わってからの「一休み」ならぬ、「一遊び」がその日一日を思わぬ展開に導いてくれたりするからだ。写真は友達のアトリエがあるZDB.夜一時頃です。 というわけで明日は(今日は)今週最後の仕事なのでそろそろ寝ます。おやすみなさい。

2007年6月7日木曜日

リスボントリエンナーレ

先日宣伝した、第1回リスボン国際建築トリエンナーレは順調な出だしを迎えたようだ。といっても僕はまだ、展示を見ていないので人伝に様子を聞いただけだが。今日はその続編です。トリエンナーレの別会場に展示作品の搬入に行きました。展示内容についてはそのうち別トピでレポートします。左の写真はヨットや船で使うロープの制作をしていた工場(コロドリア)跡地。工場は17世紀の建造物で全長420mと長く、廃屋だった建物を展覧会場として再利用する。 ちなみにこのトリエンナーレは3ヶ所で同時多発的に行われる。主要会場は98年に行われたリスボン万博会場、その他、左写真のコロドリアに電気博物館を加えて、全3会場での開催となっている。

2007年6月6日水曜日

模型をつくって

アイレスマテウスの事務所で働き始めて、そろそろ一月半。僕の仕事の大部分は模型をつくること。
この事務所では全員この作業を最初にやらされる。理由は一番簡単だから。ということだが、考えようによっては事務所で動いている一番ホットなプロジェクトを見られるわけだし、模型をつくる際に打ち合わせで必ずコミュニケーションが発生するので、これはこれでなかなか面白い。
模型を作りながら図面も見られるし、次の展開を予想することも出来るわけだ。

2007年6月5日火曜日

夕飯

さて、こちらに来ていよいよ二ヶ月が経とうとしている。この間、僕は外食したり、家で自炊したりしてきたが、ここ2,3週間の様子を見ると、どうやら週に4回は自炊する生活に慣れたようだ。僕は日本でほとんど自炊らしい自炊をしてこなかったので(ある程度出来あいの物で済ますことがほとんどだった。)、この生活はちときついかと思ったが、割と楽しんで料理をしている。
写真は今日の夕飯、ステーキとライスにトマトとレタスのサラダ。自分で作った夕飯はいつでもおいしいもの。まだレパートリーが少ないが、いつも同じ物を食べるわけにもいかないので、そのうち増えるでしょう。
では、ごちそうさま。

2007年6月4日月曜日

日曜日

昨日に引き続き今日ものんびり過ごすことになった。 それもそのはず、日曜日は多くのお店が休みなので、外に出る意味合いも日本にいた時とは大分違う。日本では日曜日も月曜日も変わらずお店は営業しているが、リスボンではお茶をしようにも、お店は限られている。
普段に比べれば午前中ひっそりとしている、この街自体が日曜日なのだ。お店が休みになることで、こんなにも街の雰囲気が変わるものかと最初は驚いた。街にも日曜日があるとしたら、それはそれで街も人と同じように休んでいることになるな。。。
そんなつまらないことを考えながら、僕は日曜日の東京を想像してみる。
そして、日曜日の東京が一体どんなであったか、思い出すことが出来ない。

2007年6月3日日曜日

夜の一コマ

今日は土曜日という休日を久々にありがたく感じる一日だった。特にこれといって忙しい一週間ではなかったけれど、一日何もすることがないと思うと、意外と一週間の疲れを感じるものだ。それは僕が外国人だからだろうか。。。
日中の強い日差しと打って変わって、夜は涼しく肌寒いこの気候はリスボンでの生活にささやかな彩を与えていると思う。夜10時のやや遅い夕食も、8時頃まで明るいこの街では気にならない。
この写真は夕食後に立ち寄った、サンタ・カタリーナの展望台カフェから。 さて、夜はまだ始まったばかりだ。

2007年6月2日土曜日

昼下がりの工事現場

昨日は夜二時まで働いて、少し疲れ気味。おかげで事務所全体が一段落しました。今日は住宅の模型制作の合間をぬって、工事現場を見学。
工事現場の雰囲気はどこの国に行っても変わらないもの。普通にラジオに新聞、飲みかけのジュースと工具。
この計画は既存建物一階部分の改築です。比較的広い一方通行の通りに面して入り口が二つ、一つは事務所もう一つはリビング。
この写真はリビングからパティオを見たもの。改築の構成は地面から1メートル程度高い中一階と1,6メートル程度低い半地下という構成になっている。パティオは半地下まで抜けている二層吹き抜け。中一階と半地下というステップフロアの積み上げがパティオを取り巻いている形になっている。
全体的には光と影のコントラストがかなり強く、工事途中ではあるが、どの部分からも外部を意識でき、そのバランスが心地よいものとなっていた。

2007年6月1日金曜日

基準

最近、模型を共同で制作することが多い。ポルトガルでの模型制作は、とにかくリラックスとアバウトが基本だと思う。大人数になればなるほど、その度合いも増す気がする。「まぁ、人数いるしね」みたいな。 そういうリラックス気質はなかなか過ごしやすいものだけど、アバウト、つまり模型の精度に関して言えば、どうしても気になってしまう。 しかし、それはあくまで「僕が」ということであって、彼らにとっては十分許容範囲なのだ。僕は彼らの精度を横目に、作るのが困難なものは先に作ってしまう。そして、そのパーツを作ろうとする瞬間、「あっそれならもうここに作ってあるから、これくっつけて。」と手渡してみる。彼らは非常に快く「ありがとう」と言ってくれるが、内心、自分の基準を密かに押し付けているのが気になっている今日この頃。