2007年9月30日日曜日

小さな発見を大きく語れ


 最近、このブログも滞り気味でいけない。9月は合計で13、8月は10の記事。8月は休みということもあって少ないのは分かるが、9月は2日に一つのペース。それに加えて、最近はほとんど写真も撮っていない。

そんな背景に仕事の時間が長くなったかといえば、実はそんなこともないので、一体全体どうしてこんなに時間がなくなったのか。

 私は明らかにこちらに来た時と体感速度が違う気がしている。先日、知り合いから「残りの半年はもっと早いかもしれない」、と言われて何だかそんな気がした。


 このブログも「日常の小さな発見を大きく語る」というモットーで始めたが、最近はそういう小さな発見もなかなかない。やはり写真か。。。

そんなことを考えている私は、いつしか追われる生活になってしまった?


いつからだろう・・・

2007年9月28日金曜日

異国の地で即答



 「何でそんなに働くの?」という素朴な質問も、異国の地で聞かれれば心の底の方まで響いていく。

 そして、単純な質問ほど不意に投げかけられると即答できぬものだ。
 私はこの質問を一瞬、深刻に受け止めた。だが、その場では適当に自分の置かれている状況から「責任を持ってやってるだけだ」と答えた。まぁ彼はそれで納得した様子だったのだが、後になってこの質問を何度か思い返してみる。


 私は何故こんなに働くのか。不思議なことにこういった質問を日本で聞かれても、(時に厭味に聞こえたりするので)あんまり真剣に考えない気がする。


 因みに私はこの質問の答えは「自分のため」というのが一般的な気がした。


 日本で真剣に働く人にこの質問を投げかければこういった類の答えが返ってきて、それはあたかも「当然」といった雰囲気さえあるような気がする。


 そして、日本人の多くが、仕事に対してこういった意識を持っているような気がして、少し誇らしくも思うのだった。

2007年9月25日火曜日

旅の記録 プラハの景色


 モルダウ川に架かるカレル橋はヨーロッパに現存している最古の石橋。1357年より43年かけて1400年に完成。(それ以前に架かっていたものは1342年の洪水のため破損)
 黒い石でできた重厚な橋には左右合わせて30体の聖人像が据えられている。ところどころ聖人像のつけているアクセサリーが金色に修理されており、古びた像と対照的でやけに目に付いた。
 写真向かい岸から数えて8番目にある、聖ヤン・ネポムツキー像の台座部分のレリーフに触ると幸運がおとずれる、と伝えられている。現地情報をほとんど持たなかったため、訳も分からぬまま行列に並び、一応触っておいた。   
 もし、この伝えを事前に知っていたら、おとずれた幸運にもう少し敏感だったかもしれない。



 プラハの景色は丘陵と川と上手く調和しているところがリスボンと似ている。リスボンはプラハに比べるとかなり起伏の差が激しいが、プラハは丘陵部頂上に建つ大聖堂が単純な地形を際立たせている。 人が住む以上、自然を破壊しなければいけないわけだが、こういった街並みは地形を生かしてもいると思う。ものすごく単純なんだが。。。

 今夏訪ねたプラハも随分前のことのような気がするが、まだほんの一月しか経っていない。
いくつか前の記事に簡単な旅行記を掲載したが、実際は投稿したい写真が沢山あるので、小出しに時々投稿してみます。

2007年9月24日月曜日

ポルトガルはまだ夏?

土曜日の朝早く、ポルトガル南部、アルガルヴ地方の小都市タヴィラへ行って来た。
南部のそれもスペイン国境近くに位置するこの街はバスで4時間かかる「ポルトガルの端っこ」と言えるだろう。市街地と浜辺の少し変わった地形関係からポルトガルでも有名なビーチの一つらしい。
 名所と言っても、乱暴に開発されていないこの街は、シーズンをずらしてきたためかひっそりとしていたが、そこに静かに住んでいる人たちの気配が心地よくもあった。
 街の中心を流れるジラオン川の河口に点在する島が浜辺となっている。ビーチのある島まではボートで20分程度かけて川を下ることになる。その間、湿地帯となった周辺にはヨットやボートが係留されたり、こじんまりとしたかわいらしい家がポツリと建っていたりする。

 9月もそろそろ終わろうというこの時期、タヴィラのビーチはまだ夏だった。恐る恐る入った海は水温が高く、海から上がっても、程よい日差しがサッと体を乾かしてくれ、遠くまで伸びている浜辺には、この週末を同じように楽しむ人々でにぎわっていた。きれいなグラデーションが遠浅の海を彩り、水平線の深い青が空との境をくっきりと浮かび上がらせていた。

 週末を利用した小旅行としてはかなり質の高いものだったと思う。

 仕事が始まって思いがけず忙しい日々に追われ、「やっと休める!」と思った週末だった。

 家でゆっくりするか、出先でゆっくりするか。この問題はついつい前者が当たり前と思ってしまいがちだが、意外と出先でのんびりするのも悪くない。
「休み疲れ」よりは心地よく疲れたことで自然に働き始められる週始めになった。

 

2007年9月19日水曜日

順応性落し物


 先週から今週にかけて、かなり忙しい仕事始めとなった。
不意打ちを食らったようで、未だ本調子に戻らない。


 こちらに来て早くも5ヶ月が過ぎた。
内約一月は夏休みだったが、それなりに仕事の事も分かってきたかと思うと、やられる。
油断大敵と言ったところか。。。


 特に今回やっていた仕事内容は予定の期日が二転三転する、働く方としては精神的にも結構きついものだった。
 
 振り返ってみると、今まで、「いついつまでにこれをやってくれ」というような展開はほとんどなく、
個人的に「少し遅いかな?」と思っても、大事に至るようなことはなかった。
尤も、最初にいつまでか尋ねたとしても、「まぁ、早いに越したことないけど、気楽にやってくれよ。」
といった感じだった。
(もちろん、設計競技などで期日があるものについてはきちんと予定が組まれる。)


 今回も勝手にそういう気持ちでやっていた仕事が、突如「来週までに終わらせてくれ」と言ってきた。
こちらも慣れたもので「無理なものは無理。」といった感じだったが、「じゃ土日も来てくれ」と言ってくる。正直うんざりしていたが、素直に従った。この仕事は夏休み前から連続するもので、個人的にも早く終わらせて、違うことをしたくなっていた。

 私はこの5ヶ月、仕事にも生活にもそれほど激しく苦しまずにやってきた。
それを単純に「適当に順応」したんだろうぐらいに考えていた。だが、実際はその順応の過程で何か大事な落し物もしてしまったのではないか?

 そんなことを、ふと考えてみる。

2007年9月14日金曜日

突然の雨の中


今週の雨。
ひどかった。
今週から働き始めた私は何故か週初めから残業。
深夜遅くまで、働く羽目に。
20:00以降まで働く場合、夕飯代は事務所が持ってくれる。

 私は当然、この制度にあやかって、他の所員たちが一旦、家に戻り始める頃、私も近所の喫茶店へ。

  ところが、注文し終わる頃、外はパラリパラリと電灯の下に白い筋が浮かび上がっている。
「そういや、なんか空気が湿ってたな。。。」
まぁすぐ止むだろうと思ったが最後、次第に雨脚は強まり、雷までなる始末。
「おいおい、どうすんだよー 傘もって来てないのに。。。」
そう思いながらもビールとコーヒーで1時間粘る。
「やばい。そろそろあいつら戻ってきてるかも。車だしなぁ。」
この時点で、残業はあきらめ、家に帰ることも真剣に考えはじめた。

 でも、このまま家に帰ってもずぶ濡れ、仕事進まず、よりはタクシー、仕事優先、で事務所に戻る。

ところが、事務所には、

 ほとんど人がいない!


 そうか。そうだったね。
 この不測の事態を彼らはきっとあきらめているに違いない。
「こんな雨じゃ、外なんか出られないなぁ。。。」
なーんて感じで、無理をしない。この雨も、そして長くなってしまう残業も、仕様がない。
少なくとも、私の想像の中のポルトガル人たちはそうだ。

 私は自分のとった行動が「どこか日本人だったかな。」と苦笑。

 午前00:30、街灯の下、湿った地面は薄く乾き始めている。


2007年9月12日水曜日

こうして僕は


8:00  起床

8:30 本当に目が覚めるのはここだ。事務所に向かわねば

9:10 事務所近くのカフェで朝食

9:30 事務所到着と作業の確認(因みにこの時間帯で26人中4番目の出勤)

13:00 昼食

14:00 インターネット、メールの確認、時事確認(日本のことも忘れないように。。。)

14:15 作業開始

18:00 作業中断、近場のカフェで小休止

18:30 作業開始

20:00 この時点で、事務所にはほとんど人がいない。。。

21:07 事務所施錠(なぜ僕が一番最後なんだ?) 帰途
  
21:20 自宅近くの果物屋で材料の購入、今日の夕飯は○○で決まり

21:36 料理開始

21:58 夕飯

22:30 シャワー

23:00 ネット

1:00 就寝 おやすみなさい。

2007年9月10日月曜日

きゅうの月


・・・9月になってしまった。
8月をほとんど旅行に費やした僕にとって、この月は文字通り「急」の月だ。

「あっ」という間にやってきた。

このブログも随分と長いお休みをもらっておきながら、本人はほとんど休んでいないという有様です。
旅行していたから、こんな事言うのは贅沢なんだけど。。。

しかし、仕事の始まった今、願わくば、今月が「休」の月であってほしいとも思う、今日この頃。



2007年9月9日日曜日

人工的な国、オランダ




 今回の旅行で僕にとってオランダは刺激的だった。干拓で得た平らな大地はどこまでも続いていて、のどかな風景にポツリポツリと見える牛や兎。等間隔に植えられた木がどこか不気味に見えてくる頃、僕はこの国が本当に人工的なんだと気がついた。





 オランダの街はどこか東京に似ている。沢山の広告やいろんな形をした建物が街には溢れている。列車に揺られながら見える景色は奇抜な形をした建物やカラフルで反復される建物は機械的にも見えるし、実験的にも見える。



こんなにデザインされた建物ばかりじゃ、どこか落ち着かない。



そういう落ち着きの無さが東京と似ている理由じゃないかと思う。


07.08.22


セピア色のチェコ


 チェコはいつも曇り空で少し肌寒い、石に覆われた街に川が流れている。街には人形士、いろんな楽器が仕込まれたオルゴールのような台車、売れない似顔絵描き、湿った石畳、沢山の人がいるのに音のしない、古ぼけた白黒写真。。。おとぎの国の街。

 というのが僕の勝手なチェコのイメージだった。

 だが、この旅はそんな勝手なイメージを裏切るように、日中は暑く、夕方歩き疲れた頃に突然、曇り出して雨が降る、というものだった。


 僕は友達と雨宿りをかねて入ったお店で予想外の長居を強いられ、夕飯以外にもついついお金を使ってしまうという何とも贅沢な旅になった。

 セピア色の写真がいつ見ても懐かしく、良く見えるように、贅沢な旅もまた、いつまでも良い思い出となるものだ。。。

07.08.20

二日間で見えるドイツ

  この旅行はドイツで友達と合流、ドイツ東部・ドレスデンで途中下車一泊し、陸路でチェコ・プラハへと入る道のりだった。



 下調べもせず慌てて旅行に出たため、この人だかりが一体何なのか分からなかったものの、偶然のお祭りに幸先のよさを感じて満足。



 僕のドイツの印象は食べ物。どこに行ってもソーセージ。



 友達曰く、ソーセージの種類が沢山あるらしいが、さすがに飽きる。というのも味付けが僕にはかなり濃く、一食でかなり参った。キャベツとソーセージとビール。この組み合わせはほとんど固定で、それらの種類を選んでいく感じだ。
 ビールの種類も多かった気がする。あまり記憶にないが、ジュースに近いようなビールもあったように思う。



 そんな中でもキャベツは殊の外、参った。ソーセージはおいしくても、このキャベツによってかなりのマイナスイメージがついてしまうのではないか?まぁ、僕はそうだった。。。



 ソーセージは「もたれる」ので、キャベツは「さっぱり」しているということだったが、「さっぱり」どころか「しょっぱい」。

07.08.18

2007年9月2日日曜日

この陽射しを



 この休暇中、半分はヨーロッパを旅行し半分はポルトガル国内を旅行した。大体が電車かバスを利用して移動するが、この間、周囲の景色が本当にすごい。



 何も無い。





 どこまでもなだらかな地面が続いていく。そこにポチポチっとコルクの木なんかが生えており、人気はまったく無い。そんな退屈な景色の先にポツリと街が現れる。そんな感じだ。


 じりじりと射すような陽射しで皮膚が焼けてくる。まぶしいを通り越して陽射しで目が痛い。

 ポルトガルはヨーロッパの中でも非常に天気のいい国だ。街もきれいだし、何だか陽気な気分になれる。否違うな。「陽気」っていう言葉には、どこかまぶしい太陽と汗のにじむ様な暑さがある。僕には。


 だけど、この暑さは何だろう?  平和。 


 とか言ってみて、何か恥ずかしいけど。そういう感じかな。。。

2007年9月1日土曜日

思い出 せ


 旅行をして分かることは実際は結構少ない。


 外国で生活してみて、自分の住んでいる街に愛着が沸いてきた。そういう自分の気持ちに自覚的になっていく。
 旅行には自分のそういう慣れてきた「目」をリセットする効果がある反面、それは単純な刺激でしかない。そうして見えたものはどこか表面的なものになりがちだ。

 見慣れないものが私たちの気持ちをどこかで刺激してくれるのはありがたいけど、そういう刺激だけでいろんなことを語っていくのは危険なことでもあると思う。

 まぁ、そんなこと言っていたら何も書けやしないけど。。。



 大学の授業で小さなエッセイを書いた時、「ある出来事があって、それから暫くしてからの方が、文章は書きやすい」というようなことを指導教官が言っていた。それは多分、自分の体験をその場で瞬時に言葉に変えるよりも、暫く時間を置いた方がより客観的に自分の体験を理解できるからだと思う。
(もちろん、目の前のことを瞬時に表現する力も重要だけど。)


 いろんな体験が私たちの記憶の中で勝手に再編集される過程で、自分が一体何を見て、何を見ていなかったかが分かってくる。色褪せていく私たちの記憶の中で、何が色褪せず残っていくのかは人それぞれ違うものだ。
 私は今、旅行の写真を見返しながらそんなことを思った。