2007年10月28日日曜日

接続障害は突然やってくる


 せっかく、気分良く書き始めていた10月も、思いがけぬ接続障害にあって、アップロードできない状態が暫くの間続いていました。未だに原因がよくわかりませんが、ここ数日の様子を見ると、どうやら回復してきた様です。 (多分ね。)

 私は今年の四月にリスボンで住まいを探すにあたって、インターネットの利用を重要視して、住まい探しをした。ポルトガルではインターネットは一年契約が常識らしく、それより短い期間の申請はできない。(多分)このため、最初からネットの環境を持っている住まいを探さなくてはいけなかった。


 日本で聞いた事もない制限として、ダウンロード制限というのがある。私の住んでいる家では1Gのものを使っている。これはインターネット上でいろいろなアドレスに行く度に、最初にダウンロードするデータ量を指しており、これまでそんなことを気にしたこともなかった私には暫くの間、なかなか実感のもてないものだった。

 ところが、ある日「今月はダウンロード1Gを越えそうだ」と同居人が注意してきた。(契約者には一応、注意のメールが送られて来るらしい。)このことが起きるまで、私はダウンロード制限の意味をネット上にある様々な動画やメールに添付されるデータなどのことだとばかり思っていた。この指定の容量を超えると一定容量当りの金額が高くなる仕組みになっている。



 私はこの制限の意味を理解するなり、パソコンでインターネットに接続することが億劫になったことさえある。(因みに家はダイヤルアップね。)さらにインターネットトラフィックと呼ばれる、国内と国外のサイトを区別する加金システムにはほとんどムカついた。

「大体どこでそんなの区別すんだよっ!」

「Google.com ptは国内サイトですか?」と言う質問に「だから、インターネットトラフィックなんだよ。」という会話の展開にはほとほと疲れた。



 だって、これじゃskypeで日本にワープすることもgoogle earthで世界中に冒険に出ることもyoutubeで文化的生活を送ることもできないじゃない。。。

 できないじゃない。。。



 今回のトラブルはこうしたことと、どうやら無関係だったのだが。。。

2007年10月8日月曜日

反復する大地


 どこまでも広がっている平たくて人工的な大地オランダ。
 今夏、一番長く滞在したオランダはあまり印象のいい国ではなかった。
もちろん目を奪われるような部分もあったけれど、長い歴史を売り物にしているヨーロッパの他の国に比べるとどこか安っぽく、表面的に見えてしまう。以前このブログにも書いたが、旅で見える部分なんて結局一部分なんだけれど。「景色の落し物 07,08,30」 「思い出 せ 07,09,01
 オランダのスキポール空港からデン・ハーグ、デルフトと南下する列車から見える景色はどこまでも平たい大地に突然、密集する建物が見えたかと思うと、また田園地帯というようなことの繰り返しだった。中でも集合住宅にはいろいろなタイプがあり、それぞれ面白そうに見えて、どこか落ち着かない。
 例えば、きれいなテーブルの上にフルーツケーキが置いてある。ここはいろんなケーキの置かれたケーキ屋だ。否、「ゴデュバ」のチョコレートがあれば「不二家」のプリンがある、ケーキの王様「シブースト」があれば、和菓子の神様「漉し餡の最中」がある、といった様子はデパ地下に近い。だがデパ地下のような雑雑した様子はなく、なんとなく静かだ。
 
 思うにオランダのこうした集合住宅はある範囲の中で行われる実験的な意味合いが強く、それらを結びつける点にはあまり注意が払われていない気がした。
 人間の生活の多くが反復であるのと同じように、建物も反復という手法が多く使われる。人間の生活に週末というスパイスが一定の反復に刺激を与え、活性化させるように、反復する建物の集合にもこうしたスパイスが必要ではないかと思う。

2007年10月7日日曜日

プラハの大聖堂


 ヨーロッパに来て、驚くものの一つに大聖堂がある。
 これはどこの大聖堂に行ってみても、何かしらの感動がある。上の写真はこの夏、遊びに行ったプラハのヴィトー大聖堂。天に向かって伸びる様子は内部でも高い天井と呼応して、まるで空だ。
 とにかくその大きさからくる感動は半端じゃなく、高い天井にこだまする人の足音やステンドグラスを通した幻想的な光はいつの間にか私たちの心を奪ってしまっていた。特にステンドグラスの光は薄汚れた外の壁からは想像もできないほどきれいで、ほとんどの窓が柔らかくなまめかしく発光していた。
 今でこそ、観光の目的でも開放されているが、その昔、祈りの場として、人々の想像力をどこまでも高めたに違いない。

2007年10月5日金曜日

泪橋を逆に渡れっ!



人生は繰り返す。「十年前の自分を思い出せ。そこに今の自分がいるはずだ。」 岡本丘人


「ジョー! 忘れちゃいけねぇ!たとえ今日がどんなに惨めでも、おめぇさんが「拳闘」ってもんを忘れねぇ限り、必ずあしたって日が来るってことを!」               あしたのジョーより

私はたかがマンガと言えど、こんな目の覚める様なフレーズに溢れたマンガを知らない。


「拳闘」の部分は人によって異なるから「○○」として「勉強」 でも「仕事」でもいい。


「○○○! 忘れちゃいけねぇ!たとえ今日がどんなに惨めでも、おめぇさんが「○○」ってもんを忘れねぇ限り、必ずあしたって日が来るってことを!」                 人生のセコンドより


                  (1997年10月05日 僕の日記)

2007年10月4日木曜日

退屈を感じる頃


ここのところ、単調な毎日を送っている。

これといって変わり映えのしない毎日が退屈に見えてくる。

それはポルトガルの生活に日々慣れていく証拠でもある。

高校の頃、入院先で出会った御爺さんは「普通に暮らしていくことは本当は難しいことなんだよ。」と自分の人生を振り返っていた。

単調な毎日。

そういう時期を大切に生きているかどうか。。。



2007年10月3日水曜日

ひとやすみ


2007年10月2日火曜日

雨 は 季節


ポルトガルに雨の季節が来ようとしている。
ここ数日、リスボンの雲行きは怪しく、毎日折りたたみの傘を持ち歩いている。
一時的な豪雨に見舞われることも少なくない。
と言っても長々と雨が降り続くことはなく、通り雨といったふうだ。

心持、最近事務所の雰囲気も少し神妙だ。
僕はこの天気のせいだと思っている。


そろそろ、この曇った空の隙間に青い空と、陽が差し込んでくる頃じゃなかろうか。。。





2007年10月1日月曜日

言葉は壁



 お昼時、事務所の友達と出かけるときはいくつかの注意が必要だ。
まず、かなり体調のいいこと。面子を確かめる事。六人席の場合、必ず四隅のどこかに座る事。
これらはどれを見落としてもいけない最重要事項といえる。
ポルトガルに限らず、母国語と呼ばれるものを持つ国で現地の人が集まって昼食をとる場合、よほどの事がない限り、英語で会話をするという事はありえない。

 何が好きでわざわざ(母国語より)話しづらい言葉を使って、楽しい昼食を過ごさなければいけないのか。

 言語の基礎的な知識がない状態で現地の会話に混ざるのは必要以上に体力を使う。特に普段の会話のスピードに加えて、話題も結構すぐ変わったりするのについていくのは、ほとんど不可能に近い。

 加えて、上に書いた最重要事項三番目の六人席、真ん中に座ってしまった場合、完璧な無視状態に陥ることもしばしばある。(だからといって黙っているわけでもないんだが。。。)もちろん、端に座ったからといって英語で話してくれるような事はないが、そっと会話を聞いています。といった態度でいられるのでいくらか楽だ。


 学生時代にビラ配りのアルバイトをした時、上手く配るコツは「無視される事に慣れる」ことだった。

 私は決まりきった売り文句を艶のない声でもってビラを差し出す。サラリーマン帰宅時間の駅前で、彼らはビラを配る私を無視して通り過ぎてゆく。私は透明だったのかもしれない。声色、ビラを差し出すタイミング、視線、私は懸命にビラを配ってみた。しかし、そのどれも効果を上げることはできず、無視されるという体験に単純にショックを受けた。私はそんなアルバイトになれた頃、同時に無視されることにも慣れたのだと思った。そして、人間が駄目になったような気がしたものだ。


 そして今、「無視されることに慣れる」のではなく、「無視させない」知恵、を私は身につけたのだった。