2008年1月29日火曜日

アヴェイロの図書館





以前もいくつかアヴェイロにある建物を紹介したが、建築を勉強している人にとってはこの建物が一番の目玉となるのではないだろうか?



アヴェイロの図書館。


以前、紹介した給水塔と同じくAlvaro Siza Vieira(シザ)による設計となっている。
アヴェイロの給水塔 07.12.10

遠巻きにこの建物が見えると友人のポルトガル人はあれが誰の設計か分かるかい?と自慢げに聞いてくる。僕はこの建物がシザによるものだと直感的にわかった。建物を形作るいろいろな要素がそこかしこで「シザらしさ」を醸し出している。

生憎、週末だったため中に入ることができなかったが、友人の話し振りからすると、中もかなり良さそうだ。僕たち一行は渋々、怪しい雲行きの下、外を回ってみることにした。

建物の大きさのわりに壁には窓が少なく、屋根に藤壺のような窓がのっている。帯状に配された白い石が赤いレンガの塊を引き締めている。建物入り口部分は巨大な屋根庇が垂直に垂れており、シザの他の作品にも見られる特徴的なデザインだ。僕たちは閉まったガラス扉の前で暗い内部に目を細めてみたが、普段の様子は想像できない。。。諦めてドアから離れると、途方に暮れた白黒の三人がガラスに映りこんでいた。僕らはしばらくその場で屯して建物の裏手に回ってみる。


すると、今まで見えていた壁とは異なる曲線の壁が、まるで一枚の赤いカーテンのように柔らかい。足元には白い石できた壁が無口に立っている。目の前には緑の芝生がきれいに生えるグラウンドとその向こうに河が広がっている。僕はこの突然現れた一枚の曲面壁にひどく惹きつけられた。何故、この曲面壁が反対側の壁に用いられず、この裏手側とも言える様な方に面しているのか。反対側(ほぼ正面)からこの建物を見た時の赤いレンガの塊と白い石でできた正面玄関の印象を思い出すと、僕はこの不意を突かれた出会いに、何か意図的なものを感じずにはいられないのだった。

2008年1月28日月曜日

哲人の料理~味覚への目覚め




最近、料理をすることが増えた。
それが、言語による壁のせいなのか、故郷を想う、寂しさのためなのか、はたまた金銭的な問題のためなのか。
外国生活は生きる上での最低限の知恵を自然と教えてくれる。

僕は料理というのがすこぶる苦手で、というのも自分がつくったものがものの数分、数十分で自分の胃の中へと消えてしまうのがどうしても耐えられなかった。しかし、仮にも一人暮らしをする身であれば、耐えられないとも言っていられない。そこで、僕はデジタルカメラという手軽な方法でこれらを記録することにしていた。それはまるで、毎日増えていくレストランのメニューのようで、僕の料理意欲を一時的に盛り上げることが多々あった。

ところが最近、そうした僕のマメさも影を潜め、さっさと作って早く食べようというスタイルへと変わってきた。調味料の加減や湯で加減など、いろんな具の選別などを楽しむようになった。こうした背景にはあまり料理のレシピにこだわらなくなった事がある。以前はレシピの指示に割りと忠実であったが故の、不自由さがあった。しかしそうした画一的な料理は実は自分の味覚を一つの正解へと縛るものであり、僕のような素人にとっては、自身の味覚で判断するという機会さえも奪われていたと思う。




しかし今思えば、僕にとっての食事はなんて視覚的なものだったのだろう。

そして、今、視覚的だった僕の食事は味覚的になろうとしているのかも,
しれない。

2008年1月27日日曜日

空に生える木

僕は飛行機と言うのが、どうも苦手でいけない。
特に、滑走路を加速して離陸する瞬間が一番嫌いだ。
そして、窓際の席で翼がたわんで見えるのもどうも心細くなってしまう。
そんな不安を口にすると、決まって「たわんだ方が安全なんだよ。」という。
しかし、それが単なる知識である限り、
空を飛ぶ僕の不安は消えることがないのだ。

2008年1月26日土曜日

夜の通りで思索 詩作 失策


働くことで見える世界がある。
自分の時間って本当にあるんだなと思う。
でもそれに気が付いた時は、もう自分の時間なんてないんだけどね。
いつしか、自分の時間だって自分で作らなきゃいけなくなると知って
10年くらい先を思い浮かべてみる。
今の自分になぞらえて。

2008年1月24日木曜日

一息

思いがけず、忙しい日々が続いた。
今の自分の疲れが、どことなく自分の油断を象徴しているようで反省。
とはいえ、ようやく一段落。
日常へ
只今帰れました。
My sweet home.

2008年1月23日水曜日

12℃


リスボンはここのところ清清しい朝を迎えるようになってきた。
夜の静かな気配の中にも春の匂いが混じっている。
先週末から働きづめの僕にとって、早い朝の訪れは残念な気持ちで一杯になる。
深夜、事務所の扉を開けて帰途につく。
冷たい空気が夜の眠気を覚ますと、もう朝が訪れたような気に
なるばかり。。。

2008年1月22日火曜日

突然忍び寄る 翳


先週の週末から事務所にほとんど缶詰の状態が続いている。
予期せぬ仕事突然頼まれるも断る理由なし。
あぁ 外国人生活。。
哀し。。。

2008年1月17日木曜日

海岸に立つ名もない教会



上の写真はポルトの中心地から北へ車で30分ほど行った所にあった教会。
写真で見るように周りに何もなく、曇った空の下、寂しい雰囲気が滲み出ている。。
こうした建物の在り方がポルトガルには割とある気がする。
何より、一軒だけポツリと建物が建っているこういう景色にそれ程、違和感を覚えない。
それどころか、この景色を引き締めているような感さえある。

僕は自然と程よい関係を持った建物が好きだ。
建物が見えすぎず、景色の中に建物が見える。

葉を見ていては木が見えず、木を見ていては森は見えぬ。
何にも捕われず、見るともなく全体を見る。

一つの強烈なデザインは人目を引くかもしれない。だがそれは森の中の葉に過ぎない。
できるなら、森を想起させるような、一枚の葉でありたい。

2008年1月16日水曜日

クリスマスはそろそろ終りにして

先日、スペインを一緒に旅行した友人を連れて、ポルトへいって来た。彼が一週間ほどリスボンに滞在予定だったので、ポルトガルを少しでもよく知ってもらおうと遠出することにした。といっても、僕は年末年始の休みを使い果たしており、週末を利用した慌しい旅行でもあった。時としてそうしたタイトなスケジュールの方が旅は楽しいが、スペインで疲れが溜まっていたのか、僕はリスボンに戻ってしばらく風邪を引いてしまった。

ポルトは今回で3度目となるポルトは相変わらず霧がかかていて、天気が悪かった。僕はまだポルトガルに来てから一度も晴天のポルトを訪れたことがない。霧のかかった古い街並みは優れた演出だが、さすがに三度目ともなると飽きてきた。しかも、リスボンに比べると寒かった。。。

写真はポルトを代表するトリニダーデ広場。中心に巨大なクリスマスツリーが飾ってある。クリスマスが過ぎて二週間が過ぎても片付けられる気配がないところは、リスボンと変わらないようだ。ちなみにこの巨大なツリーは一昨年までリスボンに設置されており、去年からポルトとリスボンを隔年で往復することになったらしい。

リスボンではこのツリーはそれ程、人気があるわけではないようだったがポルト市民の反応は一体どうだったろう。。。

最近、リスボンもようやく電飾が取り外され、クリスマスの雰囲気は街から消えていった。

そういえば僕が初めてポルトガルを訪れたのもクリスマスの時期だった。リスボンは華やかな電飾で彩られ、街は活気に溢れていた。冬の澄みきった空と太陽が川面に反射する日中と聖なる夜に備えた夜は、単純に僕の気持ちも明るいものにしてくれたのを今でも覚えている。


2008年1月15日火曜日

振り返れば。。。



 さて、そろそろ僕のポルトガル生活も10ヶ月目を向かえ、だんだん日本へと帰る日も近づいてきている。そして、生活の中には今まで過ごしてきた日々を振り返る余裕なんかもでき始めた。
 思えば、最初の頃は事務所の人たちが気を使って話しかけてきてくれたり、ちょっかいを出してきたりいろいろとあった。ポルトガル語の話せない僕に対して、あくまで英語で接してくれること。時にポルトガル語を教えてくれること。僕はこの国に来るまで、英語の国際性をひどく当てにしてきた。それは単純に外国人(僕から見て)はみんな、英語は話せるものだという思い込みであり、思い上がりでもあった。しかし、実際は彼らにとっても英語は外国語であり、母国語に比べればはるかに使いづらいものなのだ。とは言っても、僕よりはるかに上手いけど。(当たり前か。。。)
 しかしそうした状況の中でも、彼らは積極的に接してきてくれたと思う。当初、そうした和気藹々とした雰囲気がこの事務所では普通なのかと思っていた。しかし、だんだんと日本人という物珍しさもなくなり、いつの間にかお互いにとって程よい距離感に納まってくると、あれは彼らの親切な歓迎の印だったのだと気付く。
 残りの数ヶ月、彼らのそうした暖かい視線に僕なりのお返しができれば、と切に思う今日この頃。

2008年1月14日月曜日

壁の意味


バルセロナのスペイン広場に位置するバルセロナパヴィリオン。

建築科の学生でこの建物を知らぬ人はいないほど有名な建物。
何故かと言えば、純粋に壁と屋根だけで構成されたこの建築には一切の無駄や飾りがなく、極限まで純粋性を追求しているからだ。
設計者はMies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)というドイツの建築家。

 僕は教科書で見慣れた建物も実際に訪れてみると、不思議と見慣れた感じがせず、館内をうろうろとしてみる。そして、写真で作られた自分のイメージが如何に本物と違うかという基本的なことを思い出した。しかし、建物の構成は極めて単純なもので、ものの数分で全体が分かる。ところが、なかなか飽きがこない何かがこの建物にはあった。(因みに建物といってもパヴィリオンなので、展覧会用に建てられた一時的なもので、もちろん住んだりするための設備は一切ない。)


 広場に面した大き目の部屋にはビロードの様なカーテンがかかっており、場合に応じて外界と内部を分離できる。カーテンを閉めても、建物端のパティオから採光できるためそれ程、暗くなりそうにない。 このパティオ(写真正面)の大きさが何とも早、写真で見たのと違って、随分と小ぶりに感じたが、実際は程よい大きさだったと思う。

 僕は一枚の水平な屋根の下に建てられた壁が一つの大きな部屋を二つに分けるという単純な美しさのようなものを感じて、その壁の周囲を歩いたてみた。

 正面にその壁を見れば、一つの大きな部屋を視覚的にしっかりと支えており、斜めに見れば、部屋の奥行きがたっぷりと見える。そうした変化が一枚の壁の周りを歩くことで刻一刻と伝わってくる。そして、その壁の厚みの向こう側にもう一つの空間が現れた時、二つに分けられた空気の違いが不意に僕を捉えた。
 その壁は空間を二つに分けながらも、二つは完全に分断されているわけではない。一枚の壁を隔てた反対側でまったく違うことが起こっているかもしれないという予感に、僕はシャッターを切ってみた。

2008年1月13日日曜日

330



旅行の後の写真の整理。

誰かを記念に写すでもない、自分の撮ってきた写真を見ると、一体どうしてそんな写真を撮ったのか考えさせられる事がある。

僕の場合、ほとんどが建物を写すことになるけど、時に何気ない足元の写真や普段の何気ない一幕を撮りたくなる事がある。

多分、それはいい旅をした時だと思う。
何故なら、それは見る旅ではなく、気付く旅だったからだ。

2008年1月12日土曜日

路地は空へと続いている


 僕はスペインに対してかなり好印象を持っている。去年の夏に訪れたスペインの3都市が非常に良かったからだ。
 程よい大きさでもって、中心にある歴史地区が歩行者専用になっており、車の交通がないこともあって、歩く楽しさと太陽の恵みを全身に感じることのできる街だった。
 そうした僕のスペインの印象に比べると、バルセロナはオリンピック開催地ということもあってか、かなり異質に見えた。街が整然と格子状に並んでいるものの、一街区約100mから120mはあろうかという巨大さは街のスケールに比例しているようだった。広い道路は横断歩道を使って反対側へ渡るのが億劫なくらい広く、車の交通量もかなり多い。
だが、美しく車のために整理されたこの街にも歩いて楽しい路地がある。格子状に分けられた街を、右へ左へ当てもなく歩いていくといつの間にか古びて狭い路地にいる。
頭上に示されたもう一つの道は、僕の目の前に敷き詰められた石畳よりもずっと魅惑的なことを僕は最近まで知らなかった。

2008年1月11日金曜日

マドリッドジャンキーニューイヤー


 僕たちの泊まった宿はマドリッド旧市街地端にある日本人宿。宿入り口には堂々と一つ星の看板がかかっていた。入り口を入るとパティオがあり、典型的な「ロ」の字プランだと分かる。室内は2m×3m程度の天井の高い小部屋。ベッドが二つに入り口には一日あたりの料金がマジックで手書きされていた。
 共用部分には沢山の張り紙がしてあり、清潔に、使ったら元に戻しておくといった基本的なことが細かく書かれていた。その効果もあってか共用部は清潔そのものといった感じで、塵一つ落ちていない。
 サロンと呼ばれる部屋には壁全面にびっしりと本が敷き詰められている。気が付くとテーブルとソファが部屋には置かれてあるが、人気のないこの部屋には似つかわしくない気がした。僕らは数冊の漫画を手に取ると部屋に戻って読書。外はじめりとしたやる気ない空が広がっている。何より1月1日はどこも観光地は閉まっている。僕は読みかけた漫画の続きが妙に気になって何度かサロンへ。

 まだ、マドリッドに着いて二日しか経っていないのにベッドの寝心地はすこぶるよく、我々の漫喫には最適だった。

 僕は異国の地に漫画喫茶らしきものがあることに不思議な気持ちになった。そういえば、バルセロナの日本人宿にも大量の漫画が置いてあったっけ。

2008年1月10日木曜日

マドリッドを好きになれない理由


を考えてみる。

 整然と格子状に切り分けられた街にはきれいに石が敷き詰められ、細い路地に面した建物はどこかきりっとして見える。そして日中の射すような日差しが建物の輪郭を際立たせている。そんな僕の勝手なスペインのイメージとスペインの首都マドリッドは随分違っていた。
 年末、クリスマスを終えた街は、初めてこの街を訪れた僕たちにとって、賑やかなのか、ひっそりとしているのかわからなかった。ただ、今にも雨が降り出しそうな曇り空と湿った冷たい空気がどうも街の印象を悪くしていた。バルセロナから5時間かけて陸路を電車でやってきたが、到着したアトーシャ駅は開放的で併設された植物用温室にホッとする一方、地下鉄駅にはクリスマス明けのくたびれた雰囲気がそのまま広がっていた。
 初めて訪れる街の地下鉄駅ほど同じに見えてどこか退廃的な場所はない。
うつろな瞳、散乱した紙くず、蛍光灯の明かり、きれかかった電球、レールの軋み、蒸した車内、窓は薄く曇っている、つり革。

 僕は今まで訪れた街の中でこの首都だけが、どうしても好きになれない。マドリッドは僕の頭にこびり付いた美しいスペインの要素に欠けていた。それは旧市街地を車が通ること、街が割りと起伏に富んでいたこと、広場がそれ程魅力的ではなかったこと。旧市街地を車が通ることで歩行者の自由な移動が横断歩道によって妨げられる事に加えて、広場の中心に記念碑などがないため、今ひとつ拠り所に欠けている気がした。案外、広場の真ん中あたりにに何か置くだけで、印象が変わるものだと実感した。

 海に面した平野に展開するバルセロナに比べて、マドリッドは起伏に富んだ立体的な都市だが、そうした立体感をなかなか感じにくいのではないだろうか?意外と歩いてみると通好みな路地裏やポケットパークに出くわすが、何故かそうした部分同士の相乗効果が薄かった。

 それは、単に年始だったからか。。。

2008年1月1日火曜日

年明け


 スペイン マドリッドの中心Plaza SolよりNew year Count Down
 
 夜11:30頃に広場付近に到着するも、ひしめき合う人たちを抑制するために警官が入場規制を行っていた。宿でわたされた葡萄を片手に、足元が見えないほどの人だかり。
 広場前の建物の時計を見ながら、時折あがる喚声がひどく恐ろしかった。
新年を迎える喜びを普段溜まった不満のはけ口に変えそうな、どこか暴力的な雰囲気がこの賑わいには漂っていた。