2008年1月15日火曜日

振り返れば。。。



 さて、そろそろ僕のポルトガル生活も10ヶ月目を向かえ、だんだん日本へと帰る日も近づいてきている。そして、生活の中には今まで過ごしてきた日々を振り返る余裕なんかもでき始めた。
 思えば、最初の頃は事務所の人たちが気を使って話しかけてきてくれたり、ちょっかいを出してきたりいろいろとあった。ポルトガル語の話せない僕に対して、あくまで英語で接してくれること。時にポルトガル語を教えてくれること。僕はこの国に来るまで、英語の国際性をひどく当てにしてきた。それは単純に外国人(僕から見て)はみんな、英語は話せるものだという思い込みであり、思い上がりでもあった。しかし、実際は彼らにとっても英語は外国語であり、母国語に比べればはるかに使いづらいものなのだ。とは言っても、僕よりはるかに上手いけど。(当たり前か。。。)
 しかしそうした状況の中でも、彼らは積極的に接してきてくれたと思う。当初、そうした和気藹々とした雰囲気がこの事務所では普通なのかと思っていた。しかし、だんだんと日本人という物珍しさもなくなり、いつの間にかお互いにとって程よい距離感に納まってくると、あれは彼らの親切な歓迎の印だったのだと気付く。
 残りの数ヶ月、彼らのそうした暖かい視線に僕なりのお返しができれば、と切に思う今日この頃。

2008年1月14日月曜日

壁の意味


バルセロナのスペイン広場に位置するバルセロナパヴィリオン。

建築科の学生でこの建物を知らぬ人はいないほど有名な建物。
何故かと言えば、純粋に壁と屋根だけで構成されたこの建築には一切の無駄や飾りがなく、極限まで純粋性を追求しているからだ。
設計者はMies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)というドイツの建築家。

 僕は教科書で見慣れた建物も実際に訪れてみると、不思議と見慣れた感じがせず、館内をうろうろとしてみる。そして、写真で作られた自分のイメージが如何に本物と違うかという基本的なことを思い出した。しかし、建物の構成は極めて単純なもので、ものの数分で全体が分かる。ところが、なかなか飽きがこない何かがこの建物にはあった。(因みに建物といってもパヴィリオンなので、展覧会用に建てられた一時的なもので、もちろん住んだりするための設備は一切ない。)


 広場に面した大き目の部屋にはビロードの様なカーテンがかかっており、場合に応じて外界と内部を分離できる。カーテンを閉めても、建物端のパティオから採光できるためそれ程、暗くなりそうにない。 このパティオ(写真正面)の大きさが何とも早、写真で見たのと違って、随分と小ぶりに感じたが、実際は程よい大きさだったと思う。

 僕は一枚の水平な屋根の下に建てられた壁が一つの大きな部屋を二つに分けるという単純な美しさのようなものを感じて、その壁の周囲を歩いたてみた。

 正面にその壁を見れば、一つの大きな部屋を視覚的にしっかりと支えており、斜めに見れば、部屋の奥行きがたっぷりと見える。そうした変化が一枚の壁の周りを歩くことで刻一刻と伝わってくる。そして、その壁の厚みの向こう側にもう一つの空間が現れた時、二つに分けられた空気の違いが不意に僕を捉えた。
 その壁は空間を二つに分けながらも、二つは完全に分断されているわけではない。一枚の壁を隔てた反対側でまったく違うことが起こっているかもしれないという予感に、僕はシャッターを切ってみた。

2008年1月13日日曜日

330



旅行の後の写真の整理。

誰かを記念に写すでもない、自分の撮ってきた写真を見ると、一体どうしてそんな写真を撮ったのか考えさせられる事がある。

僕の場合、ほとんどが建物を写すことになるけど、時に何気ない足元の写真や普段の何気ない一幕を撮りたくなる事がある。

多分、それはいい旅をした時だと思う。
何故なら、それは見る旅ではなく、気付く旅だったからだ。

2008年1月12日土曜日

路地は空へと続いている


 僕はスペインに対してかなり好印象を持っている。去年の夏に訪れたスペインの3都市が非常に良かったからだ。
 程よい大きさでもって、中心にある歴史地区が歩行者専用になっており、車の交通がないこともあって、歩く楽しさと太陽の恵みを全身に感じることのできる街だった。
 そうした僕のスペインの印象に比べると、バルセロナはオリンピック開催地ということもあってか、かなり異質に見えた。街が整然と格子状に並んでいるものの、一街区約100mから120mはあろうかという巨大さは街のスケールに比例しているようだった。広い道路は横断歩道を使って反対側へ渡るのが億劫なくらい広く、車の交通量もかなり多い。
だが、美しく車のために整理されたこの街にも歩いて楽しい路地がある。格子状に分けられた街を、右へ左へ当てもなく歩いていくといつの間にか古びて狭い路地にいる。
頭上に示されたもう一つの道は、僕の目の前に敷き詰められた石畳よりもずっと魅惑的なことを僕は最近まで知らなかった。

2008年1月11日金曜日

マドリッドジャンキーニューイヤー


 僕たちの泊まった宿はマドリッド旧市街地端にある日本人宿。宿入り口には堂々と一つ星の看板がかかっていた。入り口を入るとパティオがあり、典型的な「ロ」の字プランだと分かる。室内は2m×3m程度の天井の高い小部屋。ベッドが二つに入り口には一日あたりの料金がマジックで手書きされていた。
 共用部分には沢山の張り紙がしてあり、清潔に、使ったら元に戻しておくといった基本的なことが細かく書かれていた。その効果もあってか共用部は清潔そのものといった感じで、塵一つ落ちていない。
 サロンと呼ばれる部屋には壁全面にびっしりと本が敷き詰められている。気が付くとテーブルとソファが部屋には置かれてあるが、人気のないこの部屋には似つかわしくない気がした。僕らは数冊の漫画を手に取ると部屋に戻って読書。外はじめりとしたやる気ない空が広がっている。何より1月1日はどこも観光地は閉まっている。僕は読みかけた漫画の続きが妙に気になって何度かサロンへ。

 まだ、マドリッドに着いて二日しか経っていないのにベッドの寝心地はすこぶるよく、我々の漫喫には最適だった。

 僕は異国の地に漫画喫茶らしきものがあることに不思議な気持ちになった。そういえば、バルセロナの日本人宿にも大量の漫画が置いてあったっけ。

2008年1月10日木曜日

マドリッドを好きになれない理由


を考えてみる。

 整然と格子状に切り分けられた街にはきれいに石が敷き詰められ、細い路地に面した建物はどこかきりっとして見える。そして日中の射すような日差しが建物の輪郭を際立たせている。そんな僕の勝手なスペインのイメージとスペインの首都マドリッドは随分違っていた。
 年末、クリスマスを終えた街は、初めてこの街を訪れた僕たちにとって、賑やかなのか、ひっそりとしているのかわからなかった。ただ、今にも雨が降り出しそうな曇り空と湿った冷たい空気がどうも街の印象を悪くしていた。バルセロナから5時間かけて陸路を電車でやってきたが、到着したアトーシャ駅は開放的で併設された植物用温室にホッとする一方、地下鉄駅にはクリスマス明けのくたびれた雰囲気がそのまま広がっていた。
 初めて訪れる街の地下鉄駅ほど同じに見えてどこか退廃的な場所はない。
うつろな瞳、散乱した紙くず、蛍光灯の明かり、きれかかった電球、レールの軋み、蒸した車内、窓は薄く曇っている、つり革。

 僕は今まで訪れた街の中でこの首都だけが、どうしても好きになれない。マドリッドは僕の頭にこびり付いた美しいスペインの要素に欠けていた。それは旧市街地を車が通ること、街が割りと起伏に富んでいたこと、広場がそれ程魅力的ではなかったこと。旧市街地を車が通ることで歩行者の自由な移動が横断歩道によって妨げられる事に加えて、広場の中心に記念碑などがないため、今ひとつ拠り所に欠けている気がした。案外、広場の真ん中あたりにに何か置くだけで、印象が変わるものだと実感した。

 海に面した平野に展開するバルセロナに比べて、マドリッドは起伏に富んだ立体的な都市だが、そうした立体感をなかなか感じにくいのではないだろうか?意外と歩いてみると通好みな路地裏やポケットパークに出くわすが、何故かそうした部分同士の相乗効果が薄かった。

 それは、単に年始だったからか。。。

2008年1月1日火曜日

年明け


 スペイン マドリッドの中心Plaza SolよりNew year Count Down
 
 夜11:30頃に広場付近に到着するも、ひしめき合う人たちを抑制するために警官が入場規制を行っていた。宿でわたされた葡萄を片手に、足元が見えないほどの人だかり。
 広場前の建物の時計を見ながら、時折あがる喚声がひどく恐ろしかった。
新年を迎える喜びを普段溜まった不満のはけ口に変えそうな、どこか暴力的な雰囲気がこの賑わいには漂っていた。