2008年5月22日木曜日

垣根


 先日、東京芸大では「垣根の内と外」と題した座談会があった。大学の独立後、この大学がどういう方向へ向かって行くのかということを教授陣が話し合うというものだった。タイトルにある「垣根」とは芸大の中の各科(建築科とか工芸科とか油画科とか。)同士の敷居を指している。また芸大という特殊な大学と社会という意味での垣根でもある。特殊と書いたのは、この大学が非常に専門的な技術の習得と伝統という意識に守られた閉鎖的な場でもあるからだ。(こうした問題に対して、近年芸大では近隣の町との連携的な活動も行ってもいます。)


 各科内の専門的な授業が忙しいこともあるのか、学生は普段、他の科との交流が少ない。(芸大に限ったことではなく、他の大学でもおそらく同じだと思う。)そのせいか、壇上に各科の教授がずらりと並んでいる光景は何とも新鮮なものだった。普段、他の科の教授同士が話しているところなどほとんど見たことないだけに。

 座談会なので、議論というほど激しくないものの、時折、科の存続の意義に触れる様な内容もあって4時間近い座談会はあっという間に終わった。科同士の複雑な関係を考えれば、教授たちも言いたい放題というわけにもいかなかっただろう。だが、会の終わりには不思議な充実感が漂っていた。多分、こうした各科同士の話し合いが芸大始まって以来、初めての試みだったからではないか。

 肝心の「垣根」については、いろいろな意見があった。教育上絶対に科という範囲は必要だ。とか「先生方みんな芸大を愛していますね」なんてまとめられもした。そんな中で、外部の有識者が言った「垣根なんて最初からなく、あるとすれば、自分でつくってしまうものではないか」という発言に僕は共感できた。日本の美術の膨大な集積と人を持つ芸大が、そうした財産を、この時代にどうやって横断的に利用していくのかはとにかく難しい問題として残った。
 座談会中、座長から振られた話を自分の在籍する科に限って話している様子は、やはりどこか閉鎖的に見えた。そうしたやり取りの中で他科のやっていることに対する無関心さがところどころに滲んでくる様な気がしたのは気のせいだろうか。「内はこれをやっています」、「内はこうなんです」ということ話が熱くなってくるほど、他科のやっていることは門外漢だから分かりませんし(あんまり興味もないなぁ)という雰囲気はどこかしらけている。そうした無関心さが言ってみれば僕たちの持つ「垣根」と「その外」なのではないかな。そう思った。

2 件のコメント:

Daiki Koga Nakagawa コガナカガワダイキ さんのコメント...

「垣根なんて最初からなく、あるとすれば、自分でつくってしまうものではないか」というコメントには、まさにその通りだと頷いた。

垣根があるように感じてしまうのは、僕らが小さな世界にまとまっている証なのでしょう。どこかで何かは繋がっているはずなのに、"関係ない"と言ってしまう、そんな排他的な姿勢に陥らない様、肝に命じるべきだと感じます。

伝統保持と新しさの導入は相反するものですが、その辺りの姿勢が一般に日本に足りないような姿勢の様に思える。(特に美術一般)

まさに"関係ない"の姿勢とは、新しさを拒否する、そんな姿勢の様に感じてしまいます。やはり新しさを吟味する事が必要なのかな?

匿名 さんのコメント...

伝統保持と新しさの導入もさることながら、越境的な幅広い好奇心と興味を育んでいくのか、その後にどうやって他と繋がっていくのか、が難しいんだと思う。
確かに伝統保持と新しさの導入は一見、相反するように見えるけど、実際はどんな新しいものも伝統とまでいかなくとも、過去のどこか、既存の何物かとの繋がりを持たないはずはないと思う。
そういう意味では、強い伝統の保持は新しいものを築いていく土台にもなると思うんだけどなぁ。。。