2008年2月29日金曜日

ユートピアからの脱出



私は長い間、ユートピアというものを現実に真剣に考えたことがなかった。それは単純に嬉しい、楽しい、ある種の「楽園」といったイメージでしかなかった。(日本語にするとパラダイスに近かったようだ。)そのため、実際にユートピアを定義づけようとした人たちがいたことを知った時、かなり驚いた。

ユートピアは人間から考える機会を奪っていく完全な管理社会なのだが、そこは人間が物事を決定していく負担を極力減らしていった結果、人は時間と規則の中でただただ繰り返される毎日を安心して過ごしていけるというものだ。


しかし、「安心とは何なのか?」という根本的な問いかけに対して、「一切の不安を取り除くこと」という単純な回答は果たして有効なのか?不安を失った安心なんてあるだろうか?

ポルトガルでの生活は日本での暮らしに比べれば、煩雑な雑事に追われる事も少なくない。それは不便や無駄といったマイナス要素なのだが、慣れればそれ程苦にならないことも多い。その一方で時間短縮の余地がまだまだあるものもある。


不便や無駄を取り除くことで得た便利さや合理性は、時に人に必要な何かをも、奪ってしまってはいないだろうか。

不便や無駄のレッテルを貼って捨てたものを、違う視点でもって見直す時期は近い。


2008年2月27日水曜日


そろそろ、本格的に日本に帰る準備が必要になってきた。
でも、周囲にそうしたことをなかなか言い出せずにいた。

この居心地の良さを背景に後半年いれば、後一年いれば、
そういう気持ちでもって接したいことは山ほどある。
否、山ほどできた。

言葉とか歴史とか、訪れたい場所とか。。。
こうした気持ちがこの地に来る前より大きいことは確実だ。

しかし、だからと言って、ここに残りたいと思うのは
勢いと楽しさに任せた自分自身に対する無責任でもある。

だから、3月25日、日本に帰ります。

2008年2月20日水曜日

蜒輔・譏ィ蟷エ縺ョ4譛医↓


蜒輔・譏ィ蟷エ縺ョ4譛医↓
事務所で文字化けしたメールを見せられて、「日本語じゃないかと思うが分かるか?」
と聞かれたことがある。
当然分からない。
「お前はポルトガルがどんな形をしているか知っている?」という簡単な質問に正確な図でもって答えてやる。「じゃぁ、お前は日本の形を知ってるの?」とペンを渡す。

すると、困った挙句にポルトガルにどこか似た形の図を描いてよこした。彼らは悪びれる様子もなく、わははと高笑い。僕は苦笑い。
(日本が4つの島でできてることくらい知っとけよ。)
僕はその時、少しムッとした。


事務所の張り紙に冗談で日本語を書き足してみる。すると、思わずシネシュ(中国)とつぶやいたりされる。
僕も多くの海外生活者同様、自身の土地や文化に対する知識の薄さを思い知ってきた。

そして、僕たちがあまりこれまで発信せずに来た現実にも直面したりする。

大袈裟だけど、僕は外国で暮らしてみて日本のいろんな良さや欠点が見えるようになったと思う。そして、これまでも、これからも変わらない、自分が日本人だということにこれからは、もっと意識的になるんだと思う。

「世界の中の日本という国から来ましたよ」という世界の国々との関係の中で日本を位置づけているか、あるいは単純に「地図で言うとここです。」といった知識としての日本を知っている程度なのかは大きな、大きな違いだと思うようにもなった。

経験という、肉体を持たないただの知識に、どうやって肉体を与えていくか、ぼんやり考えてみる。想像力、あるいは創造力じゃないかと思った。でも、そんな「そうぞう力」には、やっぱり知識が必要なんだ、とも思った。




2008年2月19日火曜日

僕は日本人



僕は昨年の4月にポルトガルに来た時、
一切日本に関するものを持ってこなかった。
 
しかし、一年と経たぬ今、箸や醤油を使って食事をするようになり、
日本の雑誌などを読んでいる。
 
こうした自分の変化を見る限り、
自分が日本人であることを思わないわけにはいかない。
 
そして、ここまで来なければ、自分が日本人であることを、
これ程まで意識することもなかったのかと思うと
少し反省したい気持ちにもなるのだった。

2008年2月8日金曜日

時間切れ。


将棋の長考にも制限時間がある。

僕たちの命にも限りがある。

今見てる夕日ももうすぐ暮れる。

そして、このリスボンでの生活もまた。。。

万物が有限だと知って、人は初めて前向きになれるのかもしれない。



2008年2月5日火曜日

サグラダ・ファミリア教会


去年の暮れに訪れたバルセロナの話を忘れてしまう前に書きとめておこう。


街の象徴とも言えるサグラダ・ファミリア教会。19世紀から20世紀にかけてバルセロナを中心に活動したアントニ・ガウディの作品だ。

バルセロナには、この教会以外にも彼の作品がある。そのどれもが一種異様な形態でもって、言葉にできないような不思議な魅力に溢れている。

中でも、このサグラダ・ファミリア教会には圧倒されてしまった。

設計者のガウディの死後、1世紀以上経った今、なお完成しない壮大さがすごい。


長くても4年、5年という時間の中で建物が出来上がる現代にあって、いつ終わるとも知れない中世の教会堂建設を間近に見ているようだった。実際、姿形も中世を思わせる。

今なお受け継がれているガウディの偉大な業績は世界遺産としてバルセロナの重要な観光資源にもなっている。そのため、建設現場に入るのに入場料を取られるのが、最初いささか腑に落ちなかったが、内部に入ると教会の建設過程が見えると同時に、長い年月を肌で感じることができた。当然のことながら、僕が今まで見てきた教会は既に出来上がったものであり、さらに教会として長く使われてきたものだった。
その点、この建物は教会として使われる前に見世物として使われている。

人間の利用してきた長い年月が沁み込んだ古い教会堂に比べると、サグラダ・ファミリアは全体の中で新しい部分と古い部分がすぐ分かる。さらには、材質も工法も建設当初とはどうも違うように見えた。この建物が1882年から造られ始めたことと、現代の科学技術の水準を考えると、どこか完成を先延ばししているようにも見えてくる。
しかし、現代の科学でもって可能となる「速度」は、中世の、いつ終わるとも知れない「永遠」というロマンを奪ってしまった。そんな現代にあって、この教会の存在はどこか時代遅れでもあり、私たちが失いかけている何かを教えてもくれるのではないだろうか。


永遠の未完成、これ即ち完成。

2008年2月4日月曜日

待てど暮らせど


路面電車を待つ人だかり。

来ない来ないといらつくよりも歩き始めた方が早く目的地に着けることもある。

しかし、僕たちはなかなかそうした決断ができないものだ。
日々の生活に突如として現れる不測の事態を前に、日々使い慣れた方法に固執してしまいがちだ。

一つの固定観念に囚われてしまう。



そして、往々にしてそうした思い込みは自分の視野を狭くするものでもある。

そう知って、今日は待たずに歩いてみた。


見慣れた景色も、日々違うものだと信じて。

07.12.09

2008年2月3日日曜日

仰げば空

ここ数日、ポルトガルを訪れる人たちの案内に追われていた。
平日、なかなか観光に同行できぬなりにいろいろとリスボンの名所を教えたり、休日は僕なりの観光プランを元にリクエストに答えるように予定を組んだりして楽しんだ。
リスボンでの暮らしがそろそろ終わりを迎えつつある最近、僕はやはり名残惜しいような気持ちになることがある。

曲りなりにも暮らすというのはそういうものか。

日本からやってきた知人は日本の生っぽい空気をまとって、そしてそんな空気をまとったまま帰って行った。僕は彼らの足早な観光に、残り一月足らずのこの生活の早さを見るような気がして、少し寂しく空を見上げてみる。見送りの終わった帰り道で。

2008年2月2日土曜日

一石二鳥を求めて




ある問題甲と乙があるとする。僕に限らず,多くの日本人ならばこうした問題を一挙に解決する一石二鳥案を真剣に考えるのではないかと思う。少なくとも,片方の問題を解決しても、もう片方の問題が悪化するような、解決案は選ばないのではないか。。。



このポルトガル生活で、僕は彼らの雑な仕事やのんびりとした仕事っぷりに文化的な違いを見せつけられた。こうした ことが起きる背景には、彼らの決断の早さとたくましい実行力が挙げられると思う。僕は最初のうち、こうした原因による仕事の乱雑感にひどく疲れることがあった。(一応断っておくが、ポルトガル人が全てがこの話の対象ではない。あくまで、一般的な話であり、もちろん責任ある立場の人は相応の態度で仕事に臨んでいます。)



以下、話を模型制作に限ってします。


僕はなぜ彼らが、実行に移る前にもっと考えないのか。ということに頭を悩ました。自分に回答が見いだせない難題に限って、一瞬彼らは悩んだりするものの、すぐ人に聞いたりして、なるだけ実行することに時間を費やす傾向があると思う。そして、今直面する問題を解決することに因われるあまり、他の問題を忘れており、その結果次なる問題丙が浮上してしまう。そういうことを繰り返しているうちにつくっている模型は汚れていってしまうわけだ。



しかし、今そうした取り組みを遠くから見てみると、そこには 意外と学ぶものが含まれているような気がしてきた。こうした模型制作におけるイタチごっこは終わりがないように見えて、実際はどこで妥協するかによってあっさりと終を迎えられるものなのだ。


では一体どこに僕が注目するかといえば、その実行力と決断力の速さだ。とにかく決断してから実行に移すまでが早い。いくつかある解決案を前にしてどれを 選ぶかという決断もかなり早い。ましてや、人に教わった話なら疑いもせず実行したりする。


この点、上に挙げた日本人の例でいくと、いくつかある解決案を前にしても、なかなか決められない。時に私たちは失敗を恐れるあまり、決めた後もその決断が最善のものであるか疑りながらの実行ということがある。


だが、そうしているうちにも彼らは作り始めている。決断や実行に慎重な理由はいくつかの不確かさ、精度場の問題を前もって察知しているからだと思うものの、見通しのよさが決心を鈍らせるとすればそれは決していいことではないのではないだろうか。




ちなみに、僕が見てきた展開上、制作に失敗した場合、「何故こうなったの?」という問に彼らは素直に「最善と思う方法をとったけど、駄目だったようです。」といった感じか、「あの時よりはよくなった」といった投げやりな展開もありうる。


結果が駄目だった以上、どちらも褒められたものではないが、その後、彼らは残された時間を目一杯時間切れになるまで善処しようとする。しかし、最後に至る前に一度結果が出ていることを考えれば、それは無駄なことではない気がしてしまう。一石で二羽の鳥を落とす方法を考えるか、その時間を沢山の石を拾う時間に当てるのか。。。