2008年2月29日金曜日

ユートピアからの脱出



私は長い間、ユートピアというものを現実に真剣に考えたことがなかった。それは単純に嬉しい、楽しい、ある種の「楽園」といったイメージでしかなかった。(日本語にするとパラダイスに近かったようだ。)そのため、実際にユートピアを定義づけようとした人たちがいたことを知った時、かなり驚いた。

ユートピアは人間から考える機会を奪っていく完全な管理社会なのだが、そこは人間が物事を決定していく負担を極力減らしていった結果、人は時間と規則の中でただただ繰り返される毎日を安心して過ごしていけるというものだ。


しかし、「安心とは何なのか?」という根本的な問いかけに対して、「一切の不安を取り除くこと」という単純な回答は果たして有効なのか?不安を失った安心なんてあるだろうか?

ポルトガルでの生活は日本での暮らしに比べれば、煩雑な雑事に追われる事も少なくない。それは不便や無駄といったマイナス要素なのだが、慣れればそれ程苦にならないことも多い。その一方で時間短縮の余地がまだまだあるものもある。


不便や無駄を取り除くことで得た便利さや合理性は、時に人に必要な何かをも、奪ってしまってはいないだろうか。

不便や無駄のレッテルを貼って捨てたものを、違う視点でもって見直す時期は近い。


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