2008年2月2日土曜日

一石二鳥を求めて




ある問題甲と乙があるとする。僕に限らず,多くの日本人ならばこうした問題を一挙に解決する一石二鳥案を真剣に考えるのではないかと思う。少なくとも,片方の問題を解決しても、もう片方の問題が悪化するような、解決案は選ばないのではないか。。。



このポルトガル生活で、僕は彼らの雑な仕事やのんびりとした仕事っぷりに文化的な違いを見せつけられた。こうした ことが起きる背景には、彼らの決断の早さとたくましい実行力が挙げられると思う。僕は最初のうち、こうした原因による仕事の乱雑感にひどく疲れることがあった。(一応断っておくが、ポルトガル人が全てがこの話の対象ではない。あくまで、一般的な話であり、もちろん責任ある立場の人は相応の態度で仕事に臨んでいます。)



以下、話を模型制作に限ってします。


僕はなぜ彼らが、実行に移る前にもっと考えないのか。ということに頭を悩ました。自分に回答が見いだせない難題に限って、一瞬彼らは悩んだりするものの、すぐ人に聞いたりして、なるだけ実行することに時間を費やす傾向があると思う。そして、今直面する問題を解決することに因われるあまり、他の問題を忘れており、その結果次なる問題丙が浮上してしまう。そういうことを繰り返しているうちにつくっている模型は汚れていってしまうわけだ。



しかし、今そうした取り組みを遠くから見てみると、そこには 意外と学ぶものが含まれているような気がしてきた。こうした模型制作におけるイタチごっこは終わりがないように見えて、実際はどこで妥協するかによってあっさりと終を迎えられるものなのだ。


では一体どこに僕が注目するかといえば、その実行力と決断力の速さだ。とにかく決断してから実行に移すまでが早い。いくつかある解決案を前にしてどれを 選ぶかという決断もかなり早い。ましてや、人に教わった話なら疑いもせず実行したりする。


この点、上に挙げた日本人の例でいくと、いくつかある解決案を前にしても、なかなか決められない。時に私たちは失敗を恐れるあまり、決めた後もその決断が最善のものであるか疑りながらの実行ということがある。


だが、そうしているうちにも彼らは作り始めている。決断や実行に慎重な理由はいくつかの不確かさ、精度場の問題を前もって察知しているからだと思うものの、見通しのよさが決心を鈍らせるとすればそれは決していいことではないのではないだろうか。




ちなみに、僕が見てきた展開上、制作に失敗した場合、「何故こうなったの?」という問に彼らは素直に「最善と思う方法をとったけど、駄目だったようです。」といった感じか、「あの時よりはよくなった」といった投げやりな展開もありうる。


結果が駄目だった以上、どちらも褒められたものではないが、その後、彼らは残された時間を目一杯時間切れになるまで善処しようとする。しかし、最後に至る前に一度結果が出ていることを考えれば、それは無駄なことではない気がしてしまう。一石で二羽の鳥を落とす方法を考えるか、その時間を沢山の石を拾う時間に当てるのか。。。


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