2008年3月24日月曜日

近所


ここ数日、近所を歩いて回る。

意外と近所にも知らない場所があるものだ。


リスボンの旧市街が小さいということもあるが、歩いて回れる手軽さが何ともいえず良い。土地の人が何年もかけてゆっくりじっくり見えてくるのと違って、足早にいろいろと回るといろんな見落としがあるものだ。

近所のことで意外なことも多い。
リスボンの旧市街は古い建物を再利用しながらできている。
おかげで街並みは古く、少しずつ現代化されていくが、その中は意外なほど広かったり、狭かったりと変化に富んでいる。

外から中の様子をうかがい知ることができない。それは言ってみれば、一寸先はドラマチックといった感じだろうか。


というのも僕は最近まで、家から歩いて2分のところに病院があることも、家のほぼ目の前に手軽でおいしいカフェがあることも知らなかったのだった。

2008年3月22日土曜日

西の果て



へ行って来た。

ロカ岬と呼ばれる最西端の地。

気を抜くと吹き飛ばされる程の強風だった。

その風のためか、海は薄く緑がかり
激しい波が崖下の岩肌を叩きつけていた。

観光客でにぎわう展望台の端で東の果て、日本を思うふ。

2008年3月19日水曜日

自然の中に神様


2,3日前にポルトガルの景色について書いてみた。僕は旅行の行く先々でそうした景色に出くわすわりに、なかなか飽きが来ない。僕はぼんやりと遠くまで景色を見ながら、ふと日本の自然を思い出してみる。

考えてみれば、日本にも数多くの自然が残っている。東京でさえ、奥多摩など周縁部に行けばかなりの自然を満喫できる。しかし、そうした日本の自然とポルトガルの自然の印象は随分と違っている。ポルトガルの自然はコルクの木に代表されるようにどこか太っていて小さい樹と少し禿げかけた緑がどこか愛らしくアンバランスで牧歌的なものである一方、日本の自然は杉の樹などの針葉樹林のように背が高く、豊かな葉をまとうかと思えば、葉を失いながらも冬の寒さに耐えるなど、四季の移ろいによっての様々な変化を見せてくれる。こうした日本の自然の印象はどこか険しいものに僕には映る。
しかし、その険しさは時に僕たちの想像力を強く刺激してきたとも思う。
例えるなら、ポルトガルの景色を見ていても、そこに神様とか感じることはない。
日々の変化に乏しい自然には神妙な気分よりもどこか安心感の方が強いに違いない。

2008年3月16日日曜日

ヴィラ・ヒアル


先日訪れたVila Real(ヴィラ・ヒアル)では、友人のPが街を案内してくれる。彼はリスボンで見るポルトガル人と違って、長身の男だった。その風貌と対照的に話し振りが柔らかく気さくな人柄は不思議な落ち着きも放っていた。

彼に案内されること数時間、土地の人を伴わなければ行けないような僻地へと向かう。

たどり着いた場所は本当に行き止まりの断崖絶壁の上だった。見渡す限りが岩肌となだらかな丘陵がどこまでも続いていく。万に一つここで行き倒れたら、助からないだろう。だが、不思議とそこまで道路が敷かれてあった。


彼が言うにはそこは先史時代くらいからの自然が残っているという。僕は雄大な自然に圧倒された。それは人間の叡智ではなくて、単純な自然そのものだった。気の遠くなるような時間をふと感じて、「景色っていつまで見てても飽きないものなのだな」と思ったりした。


皮肉なことは、デジカメでこの景色を撮ろうと思いついても、フィルターに残る画像はどうも目の前の景色と違うようだった。

僕は思いつくままに彼に質問してみる。

「何故、先史時代の自然を調査したりしないの?」

すると、

「俺たちとお前たちの社会は違うんだ。」


「もし、そんな調査をしようと思ってもどこからも援助がないし、政府だって協力しちゃくれない。」


「この国はこの国のやり方とペースでやっていくのさ。」



僕はそれを聞いて、この自然がいつまでも正体を明かされることなく、ひっそりとだが雄大にいつまでもあり続けるような気がした。



人との出会いと同じようにある場所を訪れることもまた、出会いなんだと思った。



2008年3月15日土曜日

直線の時計観


僕は自然でいうと石や岩が何億年もかけてしわくちゃになった褶曲や幾層にも積み重なった地層が好きだ。もちろん、樹の生い茂る林や森も好きだが、いくつも同じような形が繰り返される森や林には無限の迷宮みたいなものを感じて気が遠くなる。褶曲や地層は時間の過ぎていった順番に積み重なった直線的な時間軸を感じる一方、植物の一年を通した移り変わりには時計のような円形的な時間軸を感じる。というわけで、僕はどちらかといえば、大地の生成から今この時までを感じられる気がする褶曲や地層が好きだ。
円を描きながら回り続ける時計は人に永遠という錯覚を与えたに違いない。
僕は昔、砂時計の上から下へと流れ落ちる砂が刻一刻と減っていき、次第に薄い渦を巻いたかと思うと、パッと下へと消える様に流れ落ちてしまう砂時計が好きだった。

それは今、地球と人類が直面している出来事とも似ているんじゃなかろうか。

2008年3月14日金曜日

ロード・ムービー



ポルトガル南部へと日帰りで出かける。

リスボンも日中かなりの暖かさだが、アレンテージョと呼ばれるポルトガル中部から南部にかけての気候は既に夏を連想させるものだった。
日中の暑い陽射しを避けて、影を見つけて歩く。

まだ、影の中は心地よいというよりは肌寒かったけれど、日向に比べると随分と温度差があった。
リスボンに向けて鈍行バスで帰ることにする。 ハイウェイを使わず、田舎道をバスに揺られながら帰ってきた。

西の空が赤く夕暮れ始めても、なかなか陽が暮れず、薄く淡い夕日を受けた景色がどこか懐かしかった。

2008年3月13日木曜日

ボウサの集合住宅




今頃になって、という感があるが、ポルトにあるボウサの集合住宅についていくつか書いてみたい。僕はこの一年間のポルトガル生活で3回ほどポルトに行ったが、このうち二回はこのボウサの集合住宅を訪れた。


内部にはもちろん入ることができないが、建物の外周程度の見学者のために、一応アクセスを書いておく。ポルトの地下鉄駅、青線Lapa駅降りて目の前。青線は建築通でなくとも知られる、Casa da Musicaの最寄り駅もあるので、この現代建築と合わせて見ることができる。


この集合住宅の概要を簡単に説明しておく。設計者はAlvaro Siza Vieiraというポルトガルを代表する建築家だ。以前もこのブログでいくつか作品を紹介している。因みにこの建築家はポルトを拠点に活動している。
この計画は低所得者のための集合住宅であり、構想から実現まで30年近くかかっている。というわけで最新作ともいえる。この集合住宅は櫛型に配列されており、櫛の部分が住居で背の部分がコンクリートの壁になっている。


僕はこの建物を二回訪れて、二回とも建物の敷地とその外を分けているコンクリートの壁に興味をもった。去年の6月に訪れた時はかなりの豪雨で敷地内の近道用に開けられた通路や共用部分にかかった屋根を移動しながらも、いつも視線の奥にある壁が気になった。

というのはこのコンクリートの壁によって、居住部分が周囲から守られているような印象を受けるたからだ。櫛型に配列された住居は互いに向き合っているが、その間には10メートルほどの広場をはさんでいる。居住者は自宅を出て、この広場を通って外出するようになっている。さらに、壁によって広場は囲われた形になっており、広場部分にはられた芝生は居住者の物といった雰囲気になっている。

壁によって、閉じられたこの広場に入ってくる者は周囲の建物からの「目」を少なからず感じることだろう。


僕は不思議な壁の魅力を体感している気がして、壁伝いを歩いてみる。


すると、正面に壁を見ると分からなかったが、壁には端の方に小さな出口が開けてある。まるで、自分の家から出るようにその出口を出ると開放的な広場の空気はそこにはなかった。地上に出た地下鉄とその電線が土手の上に見えるだけだった。車一台ほどが通る、人気のない道路。


僕はそこに屋根があると気付くと、傘をたたみ、鈍く湿ったコンクリートの壁に沿って少しだけ歩いた。巨大な落書きがコンクリートの壁に描かれていた。

僕はその落書きを見て、何故かこの壁はなくてはならない物の様な気がした。


傘を差し、人気のない道路へと数歩出てみる。まったくの壁だ。なるほど、この巨大な壁にも、いくつか開口があり、通過できるというわけか。今度は来た道と違うところから敷地内に入ると白と紅色と芝生の緑がきついコントラストをつくっている。


もう一度、壁を振り返ると壁の高さは住居の高さに合わせてある事に気付いた。
おそらくは居住環境にできるだけ差を与えたくないというシザの配慮ではないだろうか。

2008年3月12日水曜日

廃墟の時間



時の止まった廃墟。
その時間を補うのは人間の想像だったりする。

モンテモール・オ・ノヴォの廃墟より

2008年3月11日火曜日

モンテモール・オ・ノヴォ


先月の末に訪ねて来た大学の友人にポルトガルを案内する。彼の滞在最終日は僕もまだ行った事のない土地へ行くことになった。


Montemol・o・Novo(モンテモール・オ・ノヴォ)と呼ばれるリスボンから東へ150キロ程行った所にある町だ。バスに揺られること1時間半、街の中心にある大きな倉庫のようなバス停に着く。外は思ったより少し寒かった。倉庫のようなバス停がつくる大きな影のせいだった。バス停を出ると、日差しが強く、ポルトガルの他の地方都市に比べると、道路幅が広かった。それは古い街並みを残しつつも現代の車社会に少し適応しているといった様子だった。


この街も他のポルトガルの都市と同じように丘陵地の頂上付近に城壁を回し、その裾野に街が展開する構成になっている。


向かうは古い城壁。


途中、道路ど真ん中にだらしなく寝そべる犬を発見。その不用意さが如何にもポルトガルらしくのどかな場面だった。


城壁をくぐると、ほこりっぽい土の道ときれいな緑色に生えそろった草むらが、そよ風に揺られていた。振り返ると、今くぐった城壁が目の前に立ちはだかっており、その大きさとは対照的な小ぶりな階段が脇に添えられていた。やや荒々しい石が雑然と積み上げれたその階段を上ると、城壁腰に裾野に広がる街が見渡せた。その景色はどこまでも続いていく平原に時折、盛り上がった丘陵地があり、見ていると気が遠くなっていく。



城壁は意外に長く、舗装されていない歩行部分は気をつけながら歩かなければ、足をくじいたりしそうなほどだった。遠方に見えていた城壁の端の望楼は途中、道が崩落しており行くことができず、日本ならば必ず手摺があるはずの場所にも、ここではあえて手が加えられてはいない。


僕は足元に気を使いながらも、裾野に広がる街とその背景の広大な平原にどこを見ていいのか戸惑いながら、そよ風に揺られている草むらの方に目をやってみた。それまで、足元を気遣うあまり、その方に注意がいっていなかった。


草むらの向こう側には廃墟となった塔と崩落した壁が小さく見える。城壁の入り口をくぐった時はゆるく盛り上がった丘の張りがこの廃墟を隠していたのだ。強い日差しを受けた草むらは鮮やかに、そして眩しいほど照り返してくる。廃墟はその向こう側に不思議な存在感でもって、建っている。


まるでありふれた楽園のイメージだった。

僕は今すぐその場所に行きたい気持ちを抑えつつ、来た城壁をゆっくり見て入り口まで戻ると、草むらの向こうにその廃墟が見えるまで、その丘を小走りに駆け上がった。


2008年3月9日日曜日

ひなびた景色ポルトガル



ポルトガルの僻地を訪れる。ポルトガルの良さはなんと言っても、天候の良さと景色ではないかと思う。ポルトガルにはまだ自然がかなり沢山残っており、リスボンからバスで20分もすれば、見渡す限り緩やかな平野がどこまでも続いていく。
時折、高速道路からは牧畜用の羊や馬といった動物の姿も見ることができる。そういう極めて平和な景色に見飽きて、睡魔が襲ってくる頃、遠方の丘の上に小ぢんまりとした町、あるいは村が見えてきたりする。


ポルトガルはかつて、スペインやイスラムからの侵略に備え、町を軍事上の拠点として利用するために丘陵状の地形を好んだ。晴れていれば、かなりの距離を見渡すことができる丘陵部頂上に城壁を作り、その裾野に町が等高線上に配列される。ひょっとすると、昔はこの城壁の上からの眺めも、清清しさに溢れたものではなく、もっと不安と緊張の強い場所だったのかもしれない。しかし、かつて戦略上の理由から生まれた多くの町が今では、絶好の観光スポットとなっている。


こうした自然の静寂とのどかな景色を前に、思わずため息を漏らし、人は無言で見とれてしまうばかり。。。

2008年3月8日土曜日

ポルトガルで3月



日本に帰るまでの約一月、ポルトガル国内の旅行を使用かと検討中。


そんな検討の横目に、旅行は既に始まっている。ポルトガルで知り合った人たちと国内を回ってみる。ポルトガルは日本にほとんど紹介されていないので、まだまだ観光的に未開拓な土地であり、現地での情報だけが頼りだ。


日本のガイドブックに載っていないような場所、例えばレストランとかカフェとか、大半はガイドブックに紹介されていないようなところばかり。

加えて、リスボン市内の改修工事を行っていた場所も昨年末から公開されたりしている。昨年4月に訪れた際は閉まっていた場所だ。その当時は僕がこの地を去るまでに公開されるかどうか分からないと言われた程、公開の延期に告ぐ延期を繰り返していた。上の写真は昨年末に改修工事を終えた、リスボンの中心の駅舎Rossio
約一年間の事務所勤めを終えた今、この3月は贅沢にポルトガルの生活を楽しみたいと思う。今日この頃。。。


2008年3月3日月曜日

斜視の独り言


「母さん!僕、本を読んでいると、突然文字が遠ざかったんだよ!今まで20センチくらいのところにあった文字が15センチくらい僕から離れていったの。 」

僕は子供の頃、この経験をよく、した。
特に活字が羅列する小説などを読んでいる時に限って、こうしたことが起こり、集中力が高まって文字の世界へ没頭し始めた頃、突然字図らが僕から遠ざかっていく。僕は何か良くない事の前触れのような気がして怖くなると、本を閉じた。

僕は自分の右目が斜視だと知って、鏡の前に立つ。僕らは鏡の前で互いに睨み合いながらも、彼の左目はゆっくりと外へと、離れていってしまう。
斜視であることに自覚的になった頃、子供の頃の経験に自分なりの解答を一応、見出した。

最近も時々起こるこの体験は、何かに、特に読書が中心だが、集中する時に起こる。

のめり込む一歩手前かのめり込んだ一歩先で、不意に自分の行為を考え直してみる、そんな事だと思う。子供の頃の僕はそのまま読書を止めたが、今ではそのまま読み続けることもある。

リスボンの行き慣れたカフェで、浅く腰掛けた椅子から背後に広がる景色を眺めてみる。
逆さまに見たリスボンの見慣れた景色が今まで見たこともないような場所に見えて、そのまま写真に撮った。
あの時、多分、僕の右目はどこかを泳いでいたに違いない。

2008年3月2日日曜日

向こう側



行きたい場所がある。
行きたい、と思わせるような場所。

それは不思議な予感を与えてくれる場所だ。
そして、その予感を裏切らない。


2008年3月1日土曜日

人生数学



 大学生活がちょうど折り返し地点を迎えた頃、私の友人は親からの仕送りが減り、深刻な生活難を「引き算の暮らしはつらい」と評していた。私はその話を自分のことのように聞きながら、では一体何を足せばそんな現実が明るくなるかを考えてみる。そして地道な足し算よりも華やかな掛け算へと目移りした結果、「夢」を掛ける(賭ける)事を思いつく。「人生」を「夢」に掛けるというわけだ。
最近、たまたま友人の話の中に「ライフワーク」という言葉が出てきた。

これが結構新鮮だった。

人生を夢に掛けるぞ!という大袈裟な意気込みと違って、「ライフワーク」という言葉にはどこか地味だけど長く気楽に続けていくといった感じがある。
夢を実現するためには人生くらい賭けなければいけないと言われた時代もあったと思う。

しかし、人生程の大きな数を「夢」に掛けなくとも、生活くらいの小さな数、退屈なありふれた生活に「ライフワーク」の積み重ね(つまり足し算)で大きな数を実感する事もできる事に気がついた。

それは人生をある程度長くみられるようになったということでもある。
こう思ったのは、多分、働いたからじゃないか。。。
「ライフワーク」という言葉はそんな風に響いた。
スローペース、スローライフ。
マイペース、マイライフ。