
先日、大阪で起きたひき逃げ事件の容疑者が捕まった。
朝方、大阪のとある道路で突然信号が変わると同時に走り出した車が人を轢いたまま、
3キロもの距離を走行した挙句の逃走劇だった。
しかも、容疑者は飲酒、無面、執行猶予と無法三昧の渦中にあっての出来事だった。
以前、オランダでデルフトからアムステルダムへと向かう列車で、牧場に寝そべる牛とのどかな景色を眺めていた時、
突然、電車が宙に浮くような感覚と石を砕くような音が続くと、過ぎ行く退屈な景色がいつの間にか止まっている事に気付いた。車内はしばらく電車が走っていた時と変わらず落ち着いていたが、次第に電車が止まってることに気が付いたのか、ざわめいてきた。僕は友人たちと他愛もない話に花を咲かせていたが、電車が止まった理由がすぐには分からず、「置石だろ」「いや、牛だろ。」「ありうる。」などとさっきの音について空想したりした。
だが、それは自殺だった。
僕らは何ともいえない嫌な気分になった。自分たちのくだらない想像を反省したが、それ以上に「俺も人を轢いてしまった。」というような自殺の片棒を担がされた気分だった。一瞬宙に浮いたあの感覚は人を轢いた感覚であり、あの石のような音は骨を砕く音だったのか。罪悪感が僕たちの会話を減らした。
大阪の事件は発生時間帯が、人通りの少ない朝方の出来事だったこともあり、目撃証言が少なかったらしい。
そのため、事件に使われたとみられる黒いワゴンを捉えた映像がテレビで流されていた。信号や街灯が粗い画面に点り、交差点をその車が一瞬にして走り去っていく。それは事件そのものを捉えたもので、微かだが人を轢きずっているのが分かり、一度分かると、異様な現実感を持つ映像だった。そして、視聴者がその映像を捉えられるように何度もスローモーションで流されるのだった。
私はその映像を見て、何故かオランダで乗り合わせた事件のことを思い出していた。
そして、あの罪悪感がものの数時間もすると薄くなってしまったかのように笑ったりしていた。
だが、人を轢いた感覚だけは罪悪感として今も残っている。
容疑者は事件後、仕事を辞め、事件現場周辺で新しい仕事を何事もなかったかのように始めていたらしい。
人を轢いた感覚を、彼は果たして思い出すことができるだろうか。