2008年1月28日月曜日

哲人の料理~味覚への目覚め




最近、料理をすることが増えた。
それが、言語による壁のせいなのか、故郷を想う、寂しさのためなのか、はたまた金銭的な問題のためなのか。
外国生活は生きる上での最低限の知恵を自然と教えてくれる。

僕は料理というのがすこぶる苦手で、というのも自分がつくったものがものの数分、数十分で自分の胃の中へと消えてしまうのがどうしても耐えられなかった。しかし、仮にも一人暮らしをする身であれば、耐えられないとも言っていられない。そこで、僕はデジタルカメラという手軽な方法でこれらを記録することにしていた。それはまるで、毎日増えていくレストランのメニューのようで、僕の料理意欲を一時的に盛り上げることが多々あった。

ところが最近、そうした僕のマメさも影を潜め、さっさと作って早く食べようというスタイルへと変わってきた。調味料の加減や湯で加減など、いろんな具の選別などを楽しむようになった。こうした背景にはあまり料理のレシピにこだわらなくなった事がある。以前はレシピの指示に割りと忠実であったが故の、不自由さがあった。しかしそうした画一的な料理は実は自分の味覚を一つの正解へと縛るものであり、僕のような素人にとっては、自身の味覚で判断するという機会さえも奪われていたと思う。




しかし今思えば、僕にとっての食事はなんて視覚的なものだったのだろう。

そして、今、視覚的だった僕の食事は味覚的になろうとしているのかも,
しれない。

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