
旅行をして分かることは実際は結構少ない。
外国で生活してみて、自分の住んでいる街に愛着が沸いてきた。そういう自分の気持ちに自覚的になっていく。
旅行には自分のそういう慣れてきた「目」をリセットする効果がある反面、それは単純な刺激でしかない。そうして見えたものはどこか表面的なものになりがちだ。
見慣れないものが私たちの気持ちをどこかで刺激してくれるのはありがたいけど、そういう刺激だけでいろんなことを語っていくのは危険なことでもあると思う。
まぁ、そんなこと言っていたら何も書けやしないけど。。。
大学の授業で小さなエッセイを書いた時、「ある出来事があって、それから暫くしてからの方が、文章は書きやすい」というようなことを指導教官が言っていた。それは多分、自分の体験をその場で瞬時に言葉に変えるよりも、暫く時間を置いた方がより客観的に自分の体験を理解できるからだと思う。
(もちろん、目の前のことを瞬時に表現する力も重要だけど。)
いろんな体験が私たちの記憶の中で勝手に再編集される過程で、自分が一体何を見て、何を見ていなかったかが分かってくる。色褪せていく私たちの記憶の中で、何が色褪せず残っていくのかは人それぞれ違うものだ。
私は今、旅行の写真を見返しながらそんなことを思った。
2 件のコメント:
なるほど。
確かにそれはその通りかもね。
すぐにまとめることは、その時の主観的な感覚を記録するという意味では重要だとも思うな。
旅行後に感じた事をすぐまとめた事と、しばらくたってから表現した事を比較したら、またそれは面白いかもしれない!
ぷじ>
そうそう。比較すると面白いよね。まぁこのブログではあんまし暖めずにサッと出しちゃうことにしようと思ってるけど。
でも、なかなか上手くまとめられないんだな、これが。
話がそれるけど、建築批評についても記事を書こうかと思案中。。。
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