
2008年11月25日火曜日
片道1時間半の通学路

2008年11月18日火曜日
只今室内15℃

2008年11月8日土曜日
人を轢いた話

朝方、大阪のとある道路で突然信号が変わると同時に走り出した車が人を轢いたまま、
ショック

2008年11月6日木曜日
‘ちょきんっ’と切るように

2008年11月3日月曜日
2008年7月15日火曜日
めがね

僕は裸眼で1.7程度まで見える。
一方で片目が斜視でもあり、よく見え過ぎることもあって眼精疲労がひどかった。
聞くところによると、人間の目が最も良い時期は12歳から15歳程度で、人間の老化が最も早く始まる部位でもあるらしい。そのため、眼鏡などで年齢に応じて、眼の周囲の筋肉を補助するようなケアが必要になる。焦点を合わせる為の眼の周りの筋肉が衰えるからだ。
まぁその結果、まんまと眼鏡を買わされてしまった、と言うことなのだけれど。。。
2008年7月14日月曜日
最終回

2008年7月4日金曜日
雷の夜

漠然とした社会に対する不安を抱え、今日もまた眠る。
2008年6月16日月曜日
2008年6月2日月曜日
2008年5月30日金曜日
2008年5月27日火曜日
まんが 考

日本ほど漫画が浸透した社会は他にないのではないかと思う。それくらい書店には漫画が並んでいるし、何よりその種類に驚かされる。実際、日本の有名漫画がポルトガル語訳されているものもあった。コミックは外国ではあまり価値がないと思われているとよく言われるが、それは本当だと思う。実際、僕が同年代のポルトガル人に英訳の漫画を紹介したが、一切取り合ってくれなかった。英語だったからだろうか。
それは置いておくとして、最近、この一年間に進んだ物語を読むべく、数冊の漫画を買った。その中でも井上雄彦の「バガボンド」はすごいと思った。この作品は吉川英治の「宮本武蔵」が原作となっている。漫画家は一つの作品が長く続く場合、物語が進む中で、作家自身も成長していくわけだ。特にキャラクターに本当に命が吹き込まれていくように最初の頃と終盤では顔つきが変わってきたりする。
この作品はそうした画力もさることながら、キャラクターの感情表現やストーリーの展開もすさまじい。よく、映画を見て泣くというけど、読んでいてそういう感動に近いものを感じる。(泣いてはいませんけど。)
特に「バガボンド」の場合、時代劇なわけだから、もう400年近く前の出来事をよくこんなに細かく描けるものだと思う。造られた世界ではあるけれど、すごい力でもって引き込んでくれる。特にこの漫画ですごいのは武士とか日本の精神みたいな部分をすごく丁寧に描いている部分だ。現代に描かれた宮本武蔵。その世界の中に誰もが自分自身を投影してしまう。
そんな気分にさせてくれる漫画はやっぱり、もう、美術じゃないかと思う。
2008年5月22日木曜日
垣根

2008年5月11日日曜日
2008年3月24日月曜日
近所

2008年3月22日土曜日
2008年3月19日水曜日
自然の中に神様

考えてみれば、日本にも数多くの自然が残っている。東京でさえ、奥多摩など周縁部に行けばかなりの自然を満喫できる。しかし、そうした日本の自然とポルトガルの自然の印象は随分と違っている。ポルトガルの自然はコルクの木に代表されるようにどこか太っていて小さい樹と少し禿げかけた緑がどこか愛らしくアンバランスで牧歌的なものである一方、日本の自然は杉の樹などの針葉樹林のように背が高く、豊かな葉をまとうかと思えば、葉を失いながらも冬の寒さに耐えるなど、四季の移ろいによっての様々な変化を見せてくれる。こうした日本の自然の印象はどこか険しいものに僕には映る。
2008年3月16日日曜日
ヴィラ・ヒアル

先日訪れたVila Real(ヴィラ・ヒアル)では、友人のPが街を案内してくれる。彼はリスボンで見るポルトガル人と違って、長身の男だった。その風貌と対照的に話し振りが柔らかく気さくな人柄は不思議な落ち着きも放っていた。
彼に案内されること数時間、土地の人を伴わなければ行けないような僻地へと向かう。
たどり着いた場所は本当に行き止まりの断崖絶壁の上だった。見渡す限りが岩肌となだらかな丘陵がどこまでも続いていく。万に一つここで行き倒れたら、助からないだろう。だが、不思議とそこまで道路が敷かれてあった。
彼が言うにはそこは先史時代くらいからの自然が残っているという。僕は雄大な自然に圧倒された。それは人間の叡智ではなくて、単純な自然そのものだった。気の遠くなるような時間をふと感じて、「景色っていつまで見てても飽きないものなのだな」と思ったりした。
皮肉なことは、デジカメでこの景色を撮ろうと思いついても、フィルターに残る画像はどうも目の前の景色と違うようだった。
僕は思いつくままに彼に質問してみる。
「何故、先史時代の自然を調査したりしないの?」
すると、
「俺たちとお前たちの社会は違うんだ。」
「もし、そんな調査をしようと思ってもどこからも援助がないし、政府だって協力しちゃくれない。」
「この国はこの国のやり方とペースでやっていくのさ。」
僕はそれを聞いて、この自然がいつまでも正体を明かされることなく、ひっそりとだが雄大にいつまでもあり続けるような気がした。
人との出会いと同じようにある場所を訪れることもまた、出会いなんだと思った。
2008年3月15日土曜日
直線の時計観

2008年3月14日金曜日
ロード・ムービー
2008年3月13日木曜日
ボウサの集合住宅

今頃になって、という感があるが、ポルトにあるボウサの集合住宅についていくつか書いてみたい。僕はこの一年間のポルトガル生活で3回ほどポルトに行ったが、このうち二回はこのボウサの集合住宅を訪れた。
内部にはもちろん入ることができないが、建物の外周程度の見学者のために、一応アクセスを書いておく。ポルトの地下鉄駅、青線Lapa駅降りて目の前。青線は建築通でなくとも知られる、Casa da Musicaの最寄り駅もあるので、この現代建築と合わせて見ることができる。
この集合住宅の概要を簡単に説明しておく。設計者はAlvaro Siza Vieiraというポルトガルを代表する建築家だ。以前もこのブログでいくつか作品を紹介している。因みにこの建築家はポルトを拠点に活動している。
この計画は低所得者のための集合住宅であり、構想から実現まで30年近くかかっている。というわけで最新作ともいえる。この集合住宅は櫛型に配列されており、櫛の部分が住居で背の部分がコンクリートの壁になっている。
僕はこの建物を二回訪れて、二回とも建物の敷地とその外を分けているコンクリートの壁に興味をもった。去年の6月に訪れた時はかなりの豪雨で敷地内の近道用に開けられた通路や共用部分にかかった屋根を移動しながらも、いつも視線の奥にある壁が気になった。
というのはこのコンクリートの壁によって、居住部分が周囲から守られているような印象を受けるたからだ。櫛型に配列された住居は互いに向き合っているが、その間には10メートルほどの広場をはさんでいる。居住者は自宅を出て、この広場を通って外出するようになっている。さらに、壁によって広場は囲われた形になっており、広場部分にはられた芝生は居住者の物といった雰囲気になっている。
壁によって、閉じられたこの広場に入ってくる者は周囲の建物からの「目」を少なからず感じることだろう。
僕は不思議な壁の魅力を体感している気がして、壁伝いを歩いてみる。
すると、正面に壁を見ると分からなかったが、壁には端の方に小さな出口が開けてある。まるで、自分の家から出るようにその出口を出ると開放的な広場の空気はそこにはなかった。地上に出た地下鉄とその電線が土手の上に見えるだけだった。車一台ほどが通る、人気のない道路。
僕はそこに屋根があると気付くと、傘をたたみ、鈍く湿ったコンクリートの壁に沿って少しだけ歩いた。巨大な落書きがコンクリートの壁に描かれていた。
僕はその落書きを見て、何故かこの壁はなくてはならない物の様な気がした。
傘を差し、人気のない道路へと数歩出てみる。まったくの壁だ。なるほど、この巨大な壁にも、いくつか開口があり、通過できるというわけか。今度は来た道と違うところから敷地内に入ると白と紅色と芝生の緑がきついコントラストをつくっている。
もう一度、壁を振り返ると壁の高さは住居の高さに合わせてある事に気付いた。
おそらくは居住環境にできるだけ差を与えたくないというシザの配慮ではないだろうか。
2008年3月12日水曜日
2008年3月11日火曜日
モンテモール・オ・ノヴォ

2008年3月9日日曜日
ひなびた景色ポルトガル

ポルトガルの僻地を訪れる。ポルトガルの良さはなんと言っても、天候の良さと景色ではないかと思う。ポルトガルにはまだ自然がかなり沢山残っており、リスボンからバスで20分もすれば、見渡す限り緩やかな平野がどこまでも続いていく。
時折、高速道路からは牧畜用の羊や馬といった動物の姿も見ることができる。そういう極めて平和な景色に見飽きて、睡魔が襲ってくる頃、遠方の丘の上に小ぢんまりとした町、あるいは村が見えてきたりする。
ポルトガルはかつて、スペインやイスラムからの侵略に備え、町を軍事上の拠点として利用するために丘陵状の地形を好んだ。晴れていれば、かなりの距離を見渡すことができる丘陵部頂上に城壁を作り、その裾野に町が等高線上に配列される。ひょっとすると、昔はこの城壁の上からの眺めも、清清しさに溢れたものではなく、もっと不安と緊張の強い場所だったのかもしれない。しかし、かつて戦略上の理由から生まれた多くの町が今では、絶好の観光スポットとなっている。
こうした自然の静寂とのどかな景色を前に、思わずため息を漏らし、人は無言で見とれてしまうばかり。。。
2008年3月8日土曜日
ポルトガルで3月

2008年3月3日月曜日
斜視の独り言

「母さん!僕、本を読んでいると、突然文字が遠ざかったんだよ!今まで20センチくらいのところにあった文字が15センチくらい僕から離れていったの。 」
僕は子供の頃、この経験をよく、した。
特に活字が羅列する小説などを読んでいる時に限って、こうしたことが起こり、集中力が高まって文字の世界へ没頭し始めた頃、突然字図らが僕から遠ざかっていく。僕は何か良くない事の前触れのような気がして怖くなると、本を閉じた。
僕は自分の右目が斜視だと知って、鏡の前に立つ。僕らは鏡の前で互いに睨み合いながらも、彼の左目はゆっくりと外へと、離れていってしまう。
斜視であることに自覚的になった頃、子供の頃の経験に自分なりの解答を一応、見出した。
最近も時々起こるこの体験は、何かに、特に読書が中心だが、集中する時に起こる。
のめり込む一歩手前かのめり込んだ一歩先で、不意に自分の行為を考え直してみる、そんな事だと思う。子供の頃の僕はそのまま読書を止めたが、今ではそのまま読み続けることもある。
リスボンの行き慣れたカフェで、浅く腰掛けた椅子から背後に広がる景色を眺めてみる。
逆さまに見たリスボンの見慣れた景色が今まで見たこともないような場所に見えて、そのまま写真に撮った。
あの時、多分、僕の右目はどこかを泳いでいたに違いない。
2008年3月2日日曜日
2008年3月1日土曜日
人生数学

2008年2月29日金曜日
ユートピアからの脱出

しかし、「安心とは何なのか?」という根本的な問いかけに対して、「一切の不安を取り除くこと」という単純な回答は果たして有効なのか?不安を失った安心なんてあるだろうか?
2008年2月27日水曜日
2008年2月20日水曜日
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と聞かれたことがある。
「お前はポルトガルがどんな形をしているか知っている?」という簡単な質問に正確な図でもって答えてやる。「じゃぁ、お前は日本の形を知ってるの?」とペンを渡す。
すると、困った挙句にポルトガルにどこか似た形の図を描いてよこした。彼らは悪びれる様子もなく、わははと高笑い。僕は苦笑い。
(日本が4つの島でできてることくらい知っとけよ。)
僕はその時、少しムッとした。
事務所の張り紙に冗談で日本語を書き足してみる。すると、思わずシネシュ(中国)とつぶやいたりされる。
僕も多くの海外生活者同様、自身の土地や文化に対する知識の薄さを思い知ってきた。
そして、僕たちがあまりこれまで発信せずに来た現実にも直面したりする。
大袈裟だけど、僕は外国で暮らしてみて日本のいろんな良さや欠点が見えるようになったと思う。そして、これまでも、これからも変わらない、自分が日本人だということにこれからは、もっと意識的になるんだと思う。
「世界の中の日本という国から来ましたよ」という世界の国々との関係の中で日本を位置づけているか、あるいは単純に「地図で言うとここです。」といった知識としての日本を知っている程度なのかは大きな、大きな違いだと思うようにもなった。
経験という、肉体を持たないただの知識に、どうやって肉体を与えていくか、ぼんやり考えてみる。想像力、あるいは創造力じゃないかと思った。でも、そんな「そうぞう力」には、やっぱり知識が必要なんだ、とも思った。
2008年2月19日火曜日
2008年2月8日金曜日
2008年2月5日火曜日
サグラダ・ファミリア教会

去年の暮れに訪れたバルセロナの話を忘れてしまう前に書きとめておこう。
街の象徴とも言えるサグラダ・ファミリア教会。19世紀から20世紀にかけてバルセロナを中心に活動したアントニ・ガウディの作品だ。
バルセロナには、この教会以外にも彼の作品がある。そのどれもが一種異様な形態でもって、言葉にできないような不思議な魅力に溢れている。
中でも、このサグラダ・ファミリア教会には圧倒されてしまった。
設計者のガウディの死後、1世紀以上経った今、なお完成しない壮大さがすごい。
長くても4年、5年という時間の中で建物が出来上がる現代にあって、いつ終わるとも知れない中世の教会堂建設を間近に見ているようだった。実際、姿形も中世を思わせる。
今なお受け継がれているガウディの偉大な業績は世界遺産としてバルセロナの重要な観光資源にもなっている。そのため、建設現場に入るのに入場料を取られるのが、最初いささか腑に落ちなかったが、内部に入ると教会の建設過程が見えると同時に、長い年月を肌で感じることができた。当然のことながら、僕が今まで見てきた教会は既に出来上がったものであり、さらに教会として長く使われてきたものだった。
その点、この建物は教会として使われる前に見世物として使われている。
人間の利用してきた長い年月が沁み込んだ古い教会堂に比べると、サグラダ・ファミリアは全体の中で新しい部分と古い部分がすぐ分かる。さらには、材質も工法も建設当初とはどうも違うように見えた。この建物が1882年から造られ始めたことと、現代の科学技術の水準を考えると、どこか完成を先延ばししているようにも見えてくる。
しかし、現代の科学でもって可能となる「速度」は、中世の、いつ終わるとも知れない「永遠」というロマンを奪ってしまった。そんな現代にあって、この教会の存在はどこか時代遅れでもあり、私たちが失いかけている何かを教えてもくれるのではないだろうか。
永遠の未完成、これ即ち完成。
2008年2月4日月曜日
2008年2月3日日曜日
仰げば空
2008年2月2日土曜日
一石二鳥を求めて

2008年1月29日火曜日
アヴェイロの図書館

生憎、週末だったため中に入ることができなかったが、友人の話し振りからすると、中もかなり良さそうだ。僕たち一行は渋々、怪しい雲行きの下、外を回ってみることにした。
2008年1月28日月曜日
哲人の料理~味覚への目覚め

2008年1月27日日曜日
2008年1月26日土曜日
夜の通りで思索 詩作 失策
2008年1月24日木曜日
2008年1月23日水曜日
2008年1月22日火曜日
2008年1月17日木曜日
海岸に立つ名もない教会

上の写真はポルトの中心地から北へ車で30分ほど行った所にあった教会。
写真で見るように周りに何もなく、曇った空の下、寂しい雰囲気が滲み出ている。。
こうした建物の在り方がポルトガルには割とある気がする。
何より、一軒だけポツリと建物が建っているこういう景色にそれ程、違和感を覚えない。
それどころか、この景色を引き締めているような感さえある。
僕は自然と程よい関係を持った建物が好きだ。
建物が見えすぎず、景色の中に建物が見える。
葉を見ていては木が見えず、木を見ていては森は見えぬ。
何にも捕われず、見るともなく全体を見る。
一つの強烈なデザインは人目を引くかもしれない。だがそれは森の中の葉に過ぎない。
できるなら、森を想起させるような、一枚の葉でありたい。
2008年1月16日水曜日
クリスマスはそろそろ終りにして

ポルトは今回で3度目となるポルトは相変わらず霧がかかていて、天気が悪かった。僕はまだポルトガルに来てから一度も晴天のポルトを訪れたことがない。霧のかかった古い街並みは優れた演出だが、さすがに三度目ともなると飽きてきた。しかも、リスボンに比べると寒かった。。。
写真はポルトを代表するトリニダーデ広場。中心に巨大なクリスマスツリーが飾ってある。クリスマスが過ぎて二週間が過ぎても片付けられる気配がないところは、リスボンと変わらないようだ。ちなみにこの巨大なツリーは一昨年までリスボンに設置されており、去年からポルトとリスボンを隔年で往復することになったらしい。
リスボンではこのツリーはそれ程、人気があるわけではないようだったがポルト市民の反応は一体どうだったろう。。。
最近、リスボンもようやく電飾が取り外され、クリスマスの雰囲気は街から消えていった。
そういえば僕が初めてポルトガルを訪れたのもクリスマスの時期だった。リスボンは華やかな電飾で彩られ、街は活気に溢れていた。冬の澄みきった空と太陽が川面に反射する日中と聖なる夜に備えた夜は、単純に僕の気持ちも明るいものにしてくれたのを今でも覚えている。
2008年1月15日火曜日
振り返れば。。。

2008年1月14日月曜日
壁の意味
