
2007年12月31日月曜日
年末の出来事

2007年12月29日土曜日
修道院前の広場はだだっぴろい

修道院前には植木などの植栽が施され、よく見ると駐車場のような使われ方もしている。
この広場はポルトガルの歴史において重要な4月25日にちなんで、4月25日広場と名づけられている。(この日は1974年4月25日、軍部がクーデターを起こし、ポルトガルが独裁者サラザールの手から離れ新政府が誕生した記念すべき日。因みにこの事件は「リスボンの春」と呼ばれ、この日に由来するものがポルトガルにはいろいろとある。)
ところが、現在では写真のように何もない、だだっ広い土の広場に直線上に配された石の歩道が数本通っている。 ところが、この地上に描かれた数本の線だけでは、どうも心もとない。正に拠り所がない状態といえる。実際、ここにはほとんど人が集まらず、広場周りのカフェから巨大な修道院の全景を眺めるばかりだ。(そうした意図がもしこの広場の改修にあるならそれはそれですごいことだけど。。。)以前の広場の様子は確かに駐車された車などで雑然としており、見ようによっては汚らしいかもしれない。しかし、そうした広場に面した広場の様子はそれ程悪いものでもない気がする。
広場をつくったつもりがそこには大きな断絶ができてしまう、この皮肉の方が僕にはよっぽど頂けない。
2007年12月28日金曜日
アルコバサを訪ねて

先日、訪れたポルトガル3都市の中でも、僕はこのアルコバサに来るのが本来の目的だった。というのも今、僕が関わっている計画の敷地がこの街にあり、その敷地見学を兼ねた小旅行だった。だが、この街がリスボンからそれ程遠くなかったこと、加えて近郊に他の世界遺産や小都市があったので、それらを一緒に見て回ってきた、というわけだ。
因みにこの日最初に訪れた小都市バターリャはこのアルコバサとバスで40分とかからない。後でよく見ると、「地球の歩き方」にもこの二都市は合わせて見ることを勧めていた。
ポルトガルの都市は、日本の都市に比べてかなり小さいと思う。東京に住んでいたせいか、街の大きさを実感として持つことがあまりなかったけれど、ポルトガルでは都市という一まとまりがごくごく身近に意識できる。都市間について言えば、その間ほとんど何もない荒野が延々続き、4,50分して、遠方にポツリと都市らしき集合体が見える。といった感じだ。そうした都市のほとんどは緩やかな丘陵地帯に自然発生的につくられ、建物が建っても自然の形状はそのまま残っている。
バターリャ同様、アルコバサにも世界遺産に登録された修道院がある。写真は修道院内部、沈黙の回廊より修道院入り口側を見ている。午前中に見たバターリャの修道院の回廊が、装飾過多で繊細な柱が軽快に中庭を取り囲む一方で、この回廊は堅固な壁がそこから見える中庭の景色を遮ってどこか質素で地味な印象を受けた。
この修道院の目玉は厨房の巨大な煙突。最盛期には約1000人もの修道士たちが生活していたというこの修道院。10メートル以上はあろうかという煙突が厨房の中心に位置している。石の調理台が心なしか今も生臭い気がした。
2007年12月27日木曜日
回廊に射す朝日

2007年12月26日水曜日
午前9時のバターリャ

二週間ほど前に訪れたポルトガル地方都市、バターリャ。以前書いたように、この旅は朝早くからバスに乗るなど、かなり気合の入った旅だった。一日で3都市を回ったがその一番最初に訪れたのがこの街だった。
この日朝早く起きて、バスに乗ったものの、バターリャに到着したのは午前9時。僕は前日に夜遅くまで遊び歩いたせいもあって、バスの中ではウトウトとまどろんでいた。気が付くと、バスの時計は8:45を過ぎている。僕は一瞬、寝過ごしたかと眠気が一気に吹き飛んだ。すると、窓の向こう側に突然、巨大な建造物が現れる。それはまるで、荒野に建つ巨大な建造物といった風で、僕の目を釘付けにするも、すぐ障害物に遮られて、見えない。僕は夢見心地で、もう一度見たいという激しい好奇心に駆られた。
すると、やはり見間違いではなかった。一見、何もない平野に巨大な修道院が建っている。僕は逸る気持ちを抑えきれず、興奮気味にバスを降りると、外気が痛い程冷たかった。週末、土曜日だったこともあって、その時間帯はほぼ全ての店舗が閉まっていた。僕は仕方なくバス停から修道院へと直行。
バスから見たあの異様な様子は、バターリャの街の小ささとこの修道院の大きさ、存在感の差異じゃないだろうか。見るものを圧倒するというけれど、これもそういった体験の一つに違いない。朝の到来を告げる細い光が建物に黄色く反射してまぶしい。街の端に位置する修道院の入り口は北側にあり、正面は前面日陰になっていた。日の差す広場から修道院の落とした広い影に入るとヒヤリと寒さが増した。僕は建物正面を埋め尽くす装飾を前に黒く開いた小さな扉をくぐってその中へと入ったのだった。
写真は世界遺産のバターリャ修道院の一角、未完の礼拝堂。
2007年12月23日日曜日
ホームパーティーに学ぶ

この一連のパーティーでそんなことを思いながらも、
未だ、なかなか「成り行き」に身を任せられないでいるんだけれども。。。
2007年12月21日金曜日
2007年12月20日木曜日
ハッピーバースデープロジェクト

2007年12月17日月曜日
毎日クリスマス

クリスマスをヨーロッパで初めて過ごす僕にとって、この一大イベントの盛り上がりは想像以上のものだ。(僕が街の中心に住んでいるせいもある。)日本でもクリスマスといえば、冬の冷たい空気に街中のイルミネーションが鮮やかに浮かぶ。リスボンでも早々と一月前から街路に大型の電飾が登場し、ジングルベルや一般家庭のベランダにもサンタクロースの人形が飾られたり、日に日にクリスマスを待ち望む雰囲気が街中につくられていく。
そうした街の演出と相まって、週末にクリスマス関係のイベントへ出かけていく人たち、仕事場でもクリスマスディナーなるものが企画された。上の写真はその夕食の様子。
夕食の目玉イベントはプレゼントの交換で、僕は予めこういった時のために用意していた日本製品で乗りきった。因みにプレゼントの相手はくじ引きで自分だけが知っており、相手はもちろん、僕自身も一体誰からプレゼントを貰えるのかは一切の謎となっている。こういう時に外国人が自国の物を持ってると本当に楽だと思った。一応、日本の物ということでかなりのオリジナリティを発揮できる。
プレゼントで一体どのくらいのものを持ってくるものなのか分からない僕にとって、プレゼント交換が始まるまで、内心、不安もあった。
夕飯は午前2時頃まで続き、家路につく頃、人気のない真夜中の繁華街には電飾がもう燈っていないのだった。
それはまるで、「今日」のクリスマスが終わってしまったかのようだった。
2007年12月16日日曜日
この週末

2007年12月14日金曜日
2007年12月13日木曜日
アヴェイロの橋

ポルトガルで建物を見ていると、写真集やインターネットで見たときよりもずっと良いと思うことがある。実際に現地に行ってみて初めて、建物の良さは分かるという単純な原則をポルトガルは改めて教えてくれる。(とはいっても良いものばかりじゃないけど。)
上の写真はJoão Luís Carrilho da Graça(カヒーリョ)による歩道橋。
僕は最初にこの橋をカヒーリョの作品集で見たとき、ほとんど素通りに近かったと思う。一瞬、背景の自然と対照的に写された幾何学の構図は印象に残ったものの、パッと見て、不規則な三角形の連続が構造体になっているとわかると、そんなに気にも留めずに次のページをめくったのではなかったか。(写真集には海抜が上がって河がもう少し満たされているときのものだったと思う。)
しかし、実際に行って見ると、これが意外に忘れられない。以前にも書いたが、アヴェイロはポルトガルの有名な建築家たちがキャンパス内の建物を設計しており、建物の見所はかなりある。この橋はその中でも一、二を争う印象を僕の中に残した。僕はこの橋を事前に知っていただけに、深く印象に残ったことが意外だった。
今、振り返ってみると、やはり写真に撮りきれない空気があること。(写真集などの)写真はどうしても中心としての被写体を持つが、実際に行って見るといろいろなもの(気温とか自分の気分とかも含まれる。)との関係の中で物(建物)が見えること。そして、情報過多な現代に生きる自分が体験的であることより観念的になっていたこと。
まっ 大した事じゃないけど。
2007年12月12日水曜日
霧後晴後霧


このとおり。 お昼過ぎには雲ひとつない空が広がっている。
寒さに気をとられて過剰な防寒をすると、逆に昼の日差しに汗ばんだ体が冷えて寒い。
そんなリスボンは今日もいつものように晴れている。
2007年12月11日火曜日
ある夜の出来事

最近、リスボンも急に冷え込んできた。
去年の丁度、今日か昨日にリスボン入りした気がする。その時はダウンジャケットを着ていたから結構寒かった。比較的暖かいと思われた今年の冬も、どうやら例年と変わらないのかもしれない。
まぁ、もっとも、ポルトガルに永住するわけじゃないからそんな事は関係ないんだが。
僕の今住んでいる家は旧市街の真ん中あたり5階建ての建物の最上階。
夜、洗濯物を入れるため窓際の小さなベランダに出ると、遠くの方まで空が見渡せる。
僕は大抵、週末にまとめて洗濯するがそういう暇のない週は平日の朝に洗濯機を回し、お昼に洗濯物を乾しに家に戻り、夜に取り込む。
ある夜、ベランダの洗濯物を取り込みながら、ふと夜空を見上げる。
すると、夜の空に浮かぶ無数の星が、目に見える速さで動いている。
僕は目の前に見える星が隣の家の屋根の向こう側に消えていく不思議な現実に戸惑った。。。
地球が動いているっ!という宇宙の法則を垣間見たような気がして、一瞬にして過ぎ去っていった星の軌跡がいつまでも頭の中に残った。
そして、起こるはずのない出来事は過ぎていく時間の早さだけを実感させてくれたのだった。
気がつくと握りしめた洋服が冷たい。
湿った空気が河に向かって吹くと、いつの間にか夜の空には薄い雲が近づいてきていた。
2007年12月10日月曜日
アヴェイロの給水塔

2007年12月8日土曜日
ポルトに降る霧雨

昨日、土曜日にポルトまで車で行ってきた。
事務所の友達の運転する車に便乗してのポルト行きはこれが二度目だ。前回は6月頃だったのに、なんか今回の方が暖かく感じるくらいリスボンはカラッと晴れていた。
ところが、ポルトは写真のような雨。。。
しかも霧雨で、視界は悪く、空気中をヒラリと舞う雨は傘の中に簡単に入ってきた。
どうせ濡れまいと侮ると、いつの間にか体温が下がる程濡れている。
ポルトの街並みを濃い霧雨が包む。
※前回のポルト旅行記はこちら。
ポルトへ 07 ,06,17
歩け 07 ,06,17
ドウロ河のほとり 07 ,06,17
ポルトの歴史地区 07 ,06,17
酒 07,06,17
2007年12月6日木曜日
インディペンデンス・デイ
2007年12月5日水曜日
街はまだ眠っている。
2007年12月4日火曜日
2007年12月1日土曜日
ビルバオ・グッゲンハイム美術館

上の写真はスペイン・鉄鋼の街、ビルバオに建設されたグッゲンハイム美術館。これがそのゲーリーの作品だ。一見して何が何だか分らない程、グニャリと歪んでいる。 この建物は今や彼の代名詞ともなっている。水平、垂直の建物を見慣れた私たちにとって、造形的な彼の一連の作品は、そのほとんどが彫刻的と言っていいくらい自由な形をしている。
写真は美術館の入り口部分。ゲーリーはよく「魚」をモチーフにするが、この入り口部分は波打つ壁面のせいか、まるで海の中に潜って行くような気分だ。入り口を入ると巨大な吹き抜け。波打った壁面に混じってガラスを支える構造体はかなり無骨だったが、全体の大きさから言えば決して醜いものではない。むしろ、どこか力強い印象さえあった。
3層吹き抜けの波打つような壁面とエレベーターシャフトを取り巻く曲面状に配置されたガラスが、ダイナミックなエントランスホールとなっている。視界の至る所に現れる人影は何だか見ていて目が回るようでもあった。
各展示室はかなり大きめのものだが、異様な外観がそのまま内側に現れる部分はところどころにしかない。巨大な展示室はまるで、そこに置かれる、あるいは行われる作品を寛容に受け入れるかのようで、作品の大きさによっては展示が困難なのではないかといえるほど大きい。
しかし、展示室の多くは、決して展示作品とにらみあうような関係ではなく、静かで穏やかなものではなかっただろうか。むしろ、展示作品から発せられるエネルギーを存分に演出していたと思う。そのせいか、展示を見終わった後、私はクタクタに疲れていた。
07.07.06
2007年11月30日金曜日
岬の先の白い建物

先週の週末、リスボンから電車で40分ほどの海岸の街、Cascaisに行ってきた。今年の7月に竣工した、Francisco Aires MateusのFarol de SantaMartaを見るためだ。
クリスマスイルミネーションの施された商店街を抜けて、10分ほど海岸沿いを歩くと、岬にポツリと白と青の縞模様の高い建物が見える。灯台だ。その下には真っ白い寄棟造りの建物が冬の冷たく青い空に映えて奇妙に見える。
この建物は灯台を改築して、ポルトガルの灯台の歴史と海洋技術に関する数点の展示を行っている。入り口の門を抜けると、突然、目の前に一列に並んだ真っ白い塊が4つ見える。一見して大きいのか、小さいのかわからなくなるような白さだ。というのも見る限り、ベンチや窓といった人との大きさ関係を示すものが一切なく、敷地の一番奥に見える灯台だけが異質に見える。不意を付かれた驚きを前にゆっくりとその白い塊に近づいてみる。正面入り口からは見えなかった大きな開口部や小さなドアが見えてくると、中に置かれた家具がこの白い塊の大きさを教えてくれるかのようだ。
この施設は旧灯台施設部分と拡張部分の二つから成っている。白い塊と入り口は拡張部分に位置し、旧灯台施設はその奥の海に面した部分にある。旧灯台施設には全部で3棟の寄棟と灯台があり、拡張部分と門型の壁で仕切られている。
海岸沿いから見えた寄棟造りの建物は、よく見るとタイル張りの仕上げになっている。一定のパタンで張られたタイルは一枚一枚が微妙に歪んでおり、どこか味がある。3棟ある建物の天井型はそれぞれ異なり、寄棟、アーチ、切妻と3種類あるが建物内部は黒く塗装されていて、内部で天井の違いを認識することはできない。そのことが僕には少し残念だった。
2007年11月29日木曜日
ミサ

他人にとっては何でもない場所が自分にとって、とても大切だったりする。
写真はリスボンの旧市街地中央、ロシオ広場の脇にある教会。
先日、この教会で行われたミサに偶然参加して、その独特な一体感に感動を覚えた。
人それぞれの思いが、自分の内側に向けられた眼差しが、そうした音や匂い、空気と一緒になった不思議な高揚感。
荒廃した壁に割りと新しい屋根がかかっているだけで、これと言って、重要な建物でもないようだけれど、不思議な魔力を放っている。
この教会は、去年の冬にリスボンを訪れた際、ふらっと立ち寄った場所でもある。
ぼんやりと椅子に座っているとじわりじわりと、「このまま学生を卒業するか、外国で一年間生活できるか」という宙ぶらりんな不安が募ったのを思い出した。
2007年11月28日水曜日
2007年11月27日火曜日
人を案内して思うこと
2007年11月25日日曜日
2007年11月21日水曜日
頂けない煙
2007年11月20日火曜日
お昼を考える -これぞ、my life-

2007年11月19日月曜日
2007年11月18日日曜日
Seu Jorgeを聴け

会場となったColiseu dos Recreiosは旧市街と接するRossioから歩いて10分程度の場所にある。
現在、大通りとなっているAvenida da Liberdadeの裏側に位置し、その通りはかつて大通りとして使われていたらしい。
会場の雰囲気は、ライブハウスに近い。 タバコ、撮影、(録音も?)可となっていた。
この施設はおそらく古い建物の改装だが、その味は今ひとつで、外観が立派な割りに内部空間はイベント施設として使える最低限の空間構成だったと思う。主会場となるホールは円形平面で壁面部の客席は三層(一、二層は座席。三層目は立見席となっていた。)ホール入り口までのアプローチがいろんな意味でちゃっちい。。。
そして何より驚いたのは開演9時になっても人の入りが今ひとつ。それもそのはず、最初にステージに上がってきたのは、なんと前座のグループだった。結局、そのバンドは45分近く演奏した後、一旦、中休みを経てSeu Jorgeの登場という構成になっていた。大物ワンマンライブに前座なんてあんのかよっ!と動揺。(ワンマンじゃなかったのかも。)しかし、ここリスボンでは普通のことなのか、Seu Jorgeの登場前には会場は超満員になっていた。
中盤、ソロでDavid Bowieのカバーを何曲か演奏したが、ライブは終始、多彩な楽器から繰り出されるリズムと、タバコの煙が会場全体に立ち込めていた。そして最後のアンコールで客がステージ上になだれ込むというパフォーマンス。。。
満足度◎
07.11.12
2007年11月14日水曜日
建築批評について

この授業を通して、「建築を批評するにはある程度の時間を置かなければいけない。何故なら、具体的な体験を客観的に見られるようになるまで、ある程度時間がかかる。」という言葉に大いに共感した。
2007年11月13日火曜日
不幸と話

そして、現実に起こった自分の身の回りの不幸を話してくれた。
私は話半分でそんな話に耳を傾けていた。
だが次第に、その話が必ずしも不幸な話であるとは限らないことにも気がついた。
「どうして君の不幸はそんなに面白いんだい?」と尋ねてみた。
「そりゃ、不幸を不幸として話したら、君、やっぱりお互い耐えられないじゃない。」
「本当の不幸ってのはやっぱり人に話せやしないんだな。それに、本当の不幸は本気でその人と切り結ばなきゃならない。不幸には人を結びつける力もあるんだよ。」
「だけど、それに失敗したら、そいつとはもうそれきりだね。それっきり。」
2007年11月7日水曜日
2007年11月5日月曜日
古い街で安心

広場に燈るオレンジ色のナトリウムランプは夜の雰囲気を一層引き立たせてくれる。
ヨーロッパと日本で広場ほど違うものもないだろう。ヨーロッパの広場は街の中心としての役割を果たし、外国からやってくる人に対しても同じように開かれている。
私はこういうヨーロッパの広場が好きだ。これに似た広場が日本にもあるだろうか。そう思いながら、この広場を眺めてみる。
2007年11月4日日曜日
2007年10月28日日曜日
接続障害は突然やってくる

私は今年の四月にリスボンで住まいを探すにあたって、インターネットの利用を重要視して、住まい探しをした。ポルトガルではインターネットは一年契約が常識らしく、それより短い期間の申請はできない。(多分)このため、最初からネットの環境を持っている住まいを探さなくてはいけなかった。
日本で聞いた事もない制限として、ダウンロード制限というのがある。私の住んでいる家では1Gのものを使っている。これはインターネット上でいろいろなアドレスに行く度に、最初にダウンロードするデータ量を指しており、これまでそんなことを気にしたこともなかった私には暫くの間、なかなか実感のもてないものだった。
ところが、ある日「今月はダウンロード1Gを越えそうだ」と同居人が注意してきた。(契約者には一応、注意のメールが送られて来るらしい。)このことが起きるまで、私はダウンロード制限の意味をネット上にある様々な動画やメールに添付されるデータなどのことだとばかり思っていた。この指定の容量を超えると一定容量当りの金額が高くなる仕組みになっている。
私はこの制限の意味を理解するなり、パソコンでインターネットに接続することが億劫になったことさえある。(因みに家はダイヤルアップね。)さらにインターネットトラフィックと呼ばれる、国内と国外のサイトを区別する加金システムにはほとんどムカついた。
「大体どこでそんなの区別すんだよっ!」
「Google.com ptは国内サイトですか?」と言う質問に「だから、インターネットトラフィックなんだよ。」という会話の展開にはほとほと疲れた。
だって、これじゃskypeで日本にワープすることもgoogle earthで世界中に冒険に出ることもyoutubeで文化的生活を送ることもできないじゃない。。。
できないじゃない。。。
今回のトラブルはこうしたことと、どうやら無関係だったのだが。。。
2007年10月8日月曜日
反復する大地

2007年10月7日日曜日
プラハの大聖堂

ヨーロッパに来て、驚くものの一つに大聖堂がある。
これはどこの大聖堂に行ってみても、何かしらの感動がある。上の写真はこの夏、遊びに行ったプラハのヴィトー大聖堂。天に向かって伸びる様子は内部でも高い天井と呼応して、まるで空だ。
とにかくその大きさからくる感動は半端じゃなく、高い天井にこだまする人の足音やステンドグラスを通した幻想的な光はいつの間にか私たちの心を奪ってしまっていた。特にステンドグラスの光は薄汚れた外の壁からは想像もできないほどきれいで、ほとんどの窓が柔らかくなまめかしく発光していた。
今でこそ、観光の目的でも開放されているが、その昔、祈りの場として、人々の想像力をどこまでも高めたに違いない。
2007年10月5日金曜日
泪橋を逆に渡れっ!

人生は繰り返す。「十年前の自分を思い出せ。そこに今の自分がいるはずだ。」 岡本丘人
2007年10月4日木曜日
2007年10月2日火曜日
2007年10月1日月曜日
言葉は壁

2007年9月30日日曜日
小さな発見を大きく語れ

2007年9月28日金曜日
異国の地で即答

2007年9月25日火曜日
旅の記録 プラハの景色

モルダウ川に架かるカレル橋はヨーロッパに現存している最古の石橋。1357年より43年かけて1400年に完成。(それ以前に架かっていたものは1342年の洪水のため破損)
黒い石でできた重厚な橋には左右合わせて30体の聖人像が据えられている。ところどころ聖人像のつけているアクセサリーが金色に修理されており、古びた像と対照的でやけに目に付いた。
写真向かい岸から数えて8番目にある、聖ヤン・ネポムツキー像の台座部分のレリーフに触ると幸運がおとずれる、と伝えられている。現地情報をほとんど持たなかったため、訳も分からぬまま行列に並び、一応触っておいた。
もし、この伝えを事前に知っていたら、おとずれた幸運にもう少し敏感だったかもしれない。
プラハの景色は丘陵と川と上手く調和しているところがリスボンと似ている。リスボンはプラハに比べるとかなり起伏の差が激しいが、プラハは丘陵部頂上に建つ大聖堂が単純な地形を際立たせている。 人が住む以上、自然を破壊しなければいけないわけだが、こういった街並みは地形を生かしてもいると思う。ものすごく単純なんだが。。。
今夏訪ねたプラハも随分前のことのような気がするが、まだほんの一月しか経っていない。
いくつか前の記事に簡単な旅行記を掲載したが、実際は投稿したい写真が沢山あるので、小出しに時々投稿してみます。
2007年9月24日月曜日
ポルトガルはまだ夏?

南部のそれもスペイン国境近くに位置するこの街はバスで4時間かかる「ポルトガルの端っこ」と言えるだろう。市街地と浜辺の少し変わった地形関係からポルトガルでも有名なビーチの一つらしい。
名所と言っても、乱暴に開発されていないこの街は、シーズンをずらしてきたためかひっそりとしていたが、そこに静かに住んでいる人たちの気配が心地よくもあった。
街の中心を流れるジラオン川の河口に点在する島が浜辺となっている。ビーチのある島まではボートで20分程度かけて川を下ることになる。その間、湿地帯となった周辺にはヨットやボートが係留されたり、こじんまりとしたかわいらしい家がポツリと建っていたりする。
9月もそろそろ終わろうというこの時期、タヴィラのビーチはまだ夏だった。恐る恐る入った海は水温が高く、海から上がっても、程よい日差しがサッと体を乾かしてくれ、遠くまで伸びている浜辺には、この週末を同じように楽しむ人々でにぎわっていた。きれいなグラデーションが遠浅の海を彩り、水平線の深い青が空との境をくっきりと浮かび上がらせていた。
週末を利用した小旅行としてはかなり質の高いものだったと思う。
仕事が始まって思いがけず忙しい日々に追われ、「やっと休める!」と思った週末だった。
家でゆっくりするか、出先でゆっくりするか。この問題はついつい前者が当たり前と思ってしまいがちだが、意外と出先でのんびりするのも悪くない。
「休み疲れ」よりは心地よく疲れたことで自然に働き始められる週始めになった。
2007年9月19日水曜日
順応性落し物

2007年9月14日金曜日
突然の雨の中

2007年9月12日水曜日
こうして僕は

21:36 料理開始
21:58 夕飯